「私」であるために闘う主人公〜ハーディング『ガラスの顔』
私が私であるためには闘わなければならない。
残念ながら。
フランシス・ハーディングが描く物語とは、つまりそういうものだ。日本初紹介の『嘘の木』では、女性の人権がまったく無視されていた時代を舞台とし、父の死の謎を解かなければすべてを奪われてしまう少女を主人公に配した。次の『カッコーの歌』では、次々に主人公の自我から確からしさが奪われていく。胸を締めつけられていくような展開の逃亡小説だ。『影を呑んだ少女』の舞台は十七世紀、主人公のメイクピースは特殊能力ゆえに大きな力を持つ者に利用されそうになる。邦訳されたどの作品でも少女が主人公を務めることにはもちろん意味がある。この世界において、もっとも無力であり、もっともその権利を蹂躙されがちな存在だからだ。
しかしハーディングは彼女たちに語りかける。
諦めないで。闘いなさい。
新刊『ガラスの顔』(東京創元社)は、カーネギー賞候補作にもなった二〇一二年の作品で、ハーディングにとっては第五作、これまで邦訳のある三作よりも前の長篇である。今回の舞台は地下、複雑に入り組んだ洞窟によって構成されているカヴェルナという都市である。地上とはまったく違った筋道で組み立てられたカヴェルナの文化や生活を、作者は印象的な固有名詞によって描き出す。暗い背景の上に燐光を放つ絵具によって描かれたようなその情景に、読者はまず心を奪われるはずだ。これまでもハーディング作品にはファンタジー要素が含まれてきたが、今回は完全な架空世界である。一から要素を積み上げていく、そのディテールの豊かさを鑑賞していただきたい。
物語の主人公であるネヴァフェルは、洞窟の片隅に隠棲するムーアモス・グランディブルというチーズ作りの匠によってある日、文字通り発見される。チーズ作りの材料となるホエイの中に浮かんでいたのだ。発見されたとき、ネヴァフェルはすべての記憶を失っていた。推定年齢は五歳、それからの七年間でグランディブルにチーズ作りの技を仕込まれる。人前に出るときには仮面をつけるように、と厳しく命じられたため、ネヴァフェルは自分がよほど醜い顔なのだと考えるようになる。
原題はA Face Like Glass、直訳すれば「ガラスのような顔」ということになるだろうか。ここが勘所で、邦題通りに言えば『ガラスの顔』とは何を表すのか、ということである。実はカヴェルナの人々には生まれつき表情が備わっておらず、後天的に〈面(おも)〉を習得して暮らしている。それぞれの感情にふさわしい《面》を選択するわけだ。《面》を覚えるためには対価が必要になるため、富裕層と貧困層では所持数に差が生じる。最下層のドラッジと呼ばれる人々はそれこそまったく感情表現ができないことになる。それゆえ富裕層の者は、ドラッジは自分たちとは違う人間なのだとさえ考えている。
印象的な場面がある。ある悲劇的なことが起き、無表情なドラッジの群れに異変が起きるのだ。ネヴァフェルの前でドラッジたちはひとになる。
――そのとき突如として、目の前の光景ががらりと変わった。崖に張りついた影はアリではなく、人になった。急に、彼らの肩の張り、割れた爪、水しぶきの冷たさ、足もとの断崖絶壁を意識したときの胃のよじれるような感覚が、わがことのように感じられた。あの人たちが悲しんだり、冷たい思いをしたり、疲れたり、怒ったりしてないなんて思うなんて、あたしはなんて愚かだったんだろう? ただそういう思いを表す《面》をもたないだけなのに。あの人たちは、ずっとそういう表情を与えられずに生きてきたのだ。いま、ようやく、ネヴァフェルはその理由がわかるような気がしはじめていた。
持たざる者は、持てる者の想像を遥かに超えて何も持つことができない。教育の機会という一事を考えてもわかることだが、この小説はそうした格差社会の残酷さを《面》というモチーフを用いて描き出すのである。
記憶を失っているネヴァフェルは自分がなぜ特異な存在であるのかがわからない。そのために庇護者であるグランディブル親方の下を飛び出してしまい、次々に危険な事態に遭遇することになる。本書の優れている点はここで、ネヴァフェルが危地に陥り、それを脱し、という展開を連続させることで彼女を次々に新しい場所に誘い、カヴェルナという世界の全体像を読者に見せていくのである。しかし、見れば見るほど読者の疑問は増えていくはずである。それほどカヴェルナという地は矛盾に満ちているからだ。ネヴァフェルがあらかじめ奪い取られた自分を取り返すための旅が、都市の謎解きに結びついていく。序盤の不可解さ、中盤のめまぐるしい動き、終盤の論理的な解明というミステリーとしての興趣を読者は味わうはずである。ネヴァフェルとともに世界を知ることになるのだ。すべてが解き明かされたときに感じる興奮は過去最高のものがある。世界を周到に作りこむことが可能な作家にのみ描くことのできる境地だ。
この小説が心に響くのは、世界に対して不信感を抱いている読者だろうと思う。これから世に出る、若い世代にもぜひ読んでもらいたい。世界は矛盾に満ちており、その典型がこの小説には描かれている。ハーディングは節制の効いた筆致の人で、決して声を荒げるようなことはしない。だからこそ登場人物たちの感情が心に迫ってくるのだ。ネヴァフェルは私であり、あなたであり、人の哀しみを理解することのできるすべての人である。
(杉江松恋)
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