二〇二〇年の短篇SFの精華、十一篇
年刊日本SF傑作選、版元を竹書房へ移してからの二冊目。二〇二〇年に発表されたSF短篇から十一篇が選ばれている。
ここで言うSFとは、あくまで広義のSFだ。そもそも日本においてSFは、アメリカで成立したサイエンス・フィクションよりも広い文芸として受けとめられてきた。スペキュレイティヴもあり、幻想や奇想もあり、不条理やナンセンスもありだ。本書もその流れを継いで、さまざまな傾向の作品を含んでいる。
ジャンルに収まりきらない魅力という点で随一なのは、私小説/随想の語りのなかでSF的めぐりあわせが起きる堀晃「循環」。この作品については初出時にも書評でふれているので、そちらを参照されたい(https://www.webdoku.jp/newshz/maki/2020/09/23/120933.html)。
堀作品と肩を並べる傑作は、藤野可織「いつかたったひとつの最高のかばんで」と、勝山海百合「あれは真珠というものかしら」。前者は、行方不明になった女性(非正規雇用者)が残した大量のかばんをめぐる、日常の謎(裂け目というほどではないが胸騒ぎがする事態)を綴る。後者は、未来の学校(非人間の主人公たちがそこで出逢う)を舞台にした掌篇だが、さらりとした素描のなかに設定・物語・情緒が詰まっている。
いっぽう、SFらしいロジックにおいて出色なのは、巻頭を飾る円城塔「この小説の誕生」。いま書いている文章を機械翻訳にかけてみたら……というところからはじまるので、いかにもな展開かと思いきや、読者の予断を超えてテーマが掘りさげられていく。言語実験と本格SFの理想的な融合というべきか。
柴田勝家「クランツマンの秘仏」は、このところのSF界を風靡している「異常論文」のさきがけとなった一篇。「信仰が質量を持つ」を検証する実験報告である。
柞刈湯葉「人間たちの話」は、著者の第一短篇集の表題作。ひねりのきいたファーストコンタクトもの。道具立てを基準にすれば、本書のなかでもっともSFらしいSFだ。
それに対する奇想系の代表が、三方行成「どんでんを返却する」。小説ではしばしば”どんでん返し”の趣向が用いられるが、この作品はそれをあえて字義どおり(字面どおり?)捉えて、主人公が延滞寸前の”どんでん”を返却すべく努力する。
ホラー系――というよりイヤSF系というべきかも――が三篇。牧野修「馬鹿な奴から死んでいく」は異常設定/スプラッタが全開、斜線堂有紀「本の背骨が最後に残る」は『華氏451度』からひとまわりしたディストピア的な寓話、麦原遼「それでもわたしは永遠に働きたい」は大脳ネット直結の未来でワーカホリックが爆走する。どの作品も、胃がダメージを受けるほどの強烈なインパクトがある。
伴名練「全てのアイドルが老いない世界」は、二百年にわたってファンを魅了してきた二人組アイドルが「普通の人類に戻ります」と言って解散して、七十年後の顛末が語られる。その設定だけ聞くとまるでギャグSFだが、この作者らしく練りあげられた設定を背景に、登場人物間の哀切な葛藤が浮き彫りになる。こちらは心臓にダメージがくる読後感だ。
(牧眞司)
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