ゲームをあきらめニワトリを飼う!? 息子と母の”命”を介した成長物語
「ゲーム買うのやめるからさ、代わりにニワトリ飼わせて」
ゲームを買いたい小学6年生の少年が親に反対される。ここまではよくある話。それがなぜニワトリへ? 著者と共に「え、なに⁉」となりながらも、読者は「がんばれ、少年!」という気持ちにもなります。
思春期の不安定な心、経済的にも精神的にも親の庇護のもとにあり、やりたいこととできないことの間でもがく日々。誰もが通ってきた道を思い出さずにはいられません。
少年は大まじめに飼育計画を練っていきます。近所の大人たちも味方につけ、母親の知らないところで着々と計画は進行。養鶏経験のある母の友人がやってきたり、飼う土地が見つかったり。当初は動物を飼うこと自体が「面倒」と考えていた母も、気づけばニワトリをうちで飼うことを想像していきます。
ペットではないからニワトリに名前を付けず、家畜として飼う。産んだ卵は近所の人に買ってもらい、産卵率が落ちたニワトリは絞めて肉として食べる。少年が経営者よろしくきちんと計画を立てていることに驚きますが、口で言うほど本音は割り切れていない息子の未熟さ、純粋さに母は気づいています。
『山と獣と肉と皮』で「イキモノはタベモノ」であること、獣たちの死と再生を描いた著者と共に暮らしてきた少年。今回の挑戦は彼が指揮を執るスピンオフ作品にも見えます。親子で猟師にもらったキジを前に一種の”共犯”関係を築く場面も、後半の見どころの一つです。
息子の反発は成長の証。けれど、母は戸惑い、時にムッとする。”母は強し”とよく言われますが、本書には逆に母のどうしようもない弱さも描かれています。息子の家出、母の「子の命を守る」という使命感、「母親殺し」…。ニワトリにまつわる一般的とは言いがたい物語に、親子の普遍的な関係が表現されているのです。
夫の失業という難題も発生しますが、読後感はすっきり。写真家でありながら著作の多い繁延あづささんの物語を紡ぐ技術の高さが光ります。
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