勇気づけてくれる短編集〜津村記久子『現代生活独習ノート』

勇気づけてくれる短編集〜津村記久子『現代生活独習ノート』

 津村記久子という作家には何度助けられたかわからない。仕事でミスったとき、よけいなひと言をいってしまったとき、何かおもしろいことないかなあと思うとき、津村さんの文章を読み返したり登場するフレーズを思い浮かべたりすることで乗り切ってきた。津村作品を読んで気づくことはいくつもあるが、

・働くことの大切さを肯定してくれる(好きな仕事であろうとなかろうと)
・会社や学校といった自分の趣味で参加したものではない集団においては、距離感を保って友好的な態度を心がけるとよい(相手に心からの共感を持たなくてかまわない)
・ささやかなものでいいから、自分の楽しみを持てるとよい(一般的に高い評価を得られるどうかは関係ないし、他人の好みも否定しない)
・登場人物たちは対人関係はだいたいにおいてクールだけれども冷淡ではなく、出しゃばりすぎないやり方で相手のことを考えて行動している
・著者のユーモアのセンスは卓抜である

などを個人的には心に刻んでいる。「いやいや、○○こそが津村文学の魅力でしょ」的な異論もあるかもれないが、私自身に関していえば上記の点を教訓としたり楽しみにしたりしているということでご了承いただきたい。大ざっぱにまとめてしまったけれど決して予定調和なところはなく、いい意味で意表を突かれるような部分も多々あって読者を驚かせる作家であることも付け加えさせていただく。

 というわけで、本書も我々を勇気づけてくれる短編集。特に印象的だったのは、「牢名主」「粗食インスタグラム」「イン・ザ・シティ」。いずれも傷ついた主人公が徐々に回復に向かう物語だ(他の短編も概ね同様)。例えば「牢名主」は、A群(アドリアナ・スミス群)/B群(バーブラ・ウィリアムズ群)と区分される関係性におけるB群の自助グループについて描かれた話。”A群はB群に依存・搾取を行い、B群はA群を加害行為の巧妙さゆえに切り捨てられない”という症例らしきものが作中で報告されている(アドリアナとバーブラの関係性から一例をあげるならば、”バーブラがある男の子を好きになる→例外なくアドリアナがその男の子に頻繁な接触をする→男の子とアドリアナがなかよくなる→アドリアナが男の子から離れる→自動的にバーブラと男の子も疎遠になる。しかし、バーブラは自分に好意を示してくるアドリアナとの関係を断てない”といった感じ。主人公が陥ったのもこの例に似たループだったという)。

 現実における小中学校の狭い交友関係などでも、A群orB群に近い役割を担うことになる場面は少なくないだろう。それでも、主人公や自助グループのメンバー、そしてカウンセラーに胸中を告白したバーブラは、試行錯誤しながらもなんとか自分の力で進もうとした。その姿は、驚くほど私の心を揺さぶった。いま現在生きるのが辛い人に本書がどこまで即効性を発揮するのかどうかわからない。それでも、できれば少し精神的に落ち着いた状態のときに読むといいのではないかと思うし、別に人間関係に悩んではいないという人にも発見があるに違いない。(ちなみに、「アドリアナ・スミス」で検索すると、アメリカのロックバンドであるガンズ・アンド・ローゼズのドラムだったスティーヴン・アドラーの元カノの名前があがってくる。さらには彼女に関係する仰天のエピソードも。A群B群というのは実際にある病名や症状名のようなものではないらしいが、この人名をチョイスするセンスにも津村さんの絶妙さを実感せずにいられない)。

 ある短編のある人物が、「どの家もなんかあるのか」と呟くシーンがあるのが、まさに本書について言い表しているような気がする。「どの家」は「どの人」と置き換えることも可能だと思う。どの家にもどの人にもなんかある。真っ向からぶつかるのもひとつの手だけれども、いったん回避してなんとかやり過ごすのでもいい。『現代生活独習ノート』も、きっとあなたの味方になる。

 それと、この本の中ではちょっと毛色の違う作品といえると思うけども、個人的に偏愛しているのが「フェリシティの面接」。これは”フェリシティ=ミス・レモン”ということをご存じない方には「?」という内容かもしれないのだが、とある名探偵シリーズファンにはたまらないシチュエーションといえよう(ご不明の方は、「ミス・レモン 秘書」などのキーワードで検索されるとよろしいかと存じます。ちなみに、ドラマ版のミス・レモンはもっとノリノリで雇い主の手伝いをしてるようにみえるので、これは原作版のキャラを念頭に置いて書かれたものと考えてよさそう)。オチも最高。

(松井ゆかり)

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