閉ざされた岬にあるのは、静穏なり生か、死へいたる扉か

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閉ざされた岬にあるのは、静穏なり生か、死へいたる扉か

 篠田節子の新作長篇。テーマにおいても設定においても、ひとつのジャンルに収まりきらない幅と奥行きを備えている。

 プロットはサスペンス・ミステリだ。清廉で高潔な主婦、ノーベル文学賞を受賞した小説家、世間ずれしていない神秘的な令嬢……。何人もの人間が、「静穏な生活」を求めて北の果ての岬へ消えていく。そのうちのひとりは、「深遠で霊的な世界に繋がる場所を知っている」と言い残していた。

 物語は、消えた者たちの足跡を追う友人や関係者、複数の視点で綴られる。まず、カルト宗教に巻きこまれたのかとの疑いを抱くが、いくら調べても特定の団体に行きつくことはない。岬へつづく陸路は原生林や沼地に遮られている。そのうえ近くにはヒグマが出没するのだ。岬の一部に浜があるが、昆布漁をする地元の船すら近づかない。また、あくまで不確かな伝聞にすぎないが、「戦争中は毒ガス工場があって労働者がたくさん死んだ」との噂もある。

 謎の核心にかかわることなので詳しくふれるわけにはいかないが、岬にまつわる経緯は石黒達昌の作品、「平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士,並びに,」や「冬至草」を思わせる。きわめて限定された地域の自然、そこに科学的に解明しつくせない――しかし神やスピリチュアリズムとはまったく無縁の――機序があって、人間の生のありようと切実にかかわってくる。

 先述したように『失われた岬』は特定のジャンルに限定される作品ではないが、SFとしても見すごせないアイデアと展開を備えている。

 もうひとつ注目すべきは、時代設定だ。

 第一章で語られる失踪事件は2008年。第二章では時代が飛んで、プロトタイプながらAIによる心理療法士が実現しており、近未来だということがわかる。その近未来から過去の失踪事件を振り返るかたちだ。第三章は2027年、第四章は2029年と、はっきり年代が設定されている。

 物語の背景としてさりげなく描きこまれる近未来の状況は、じつに暗澹たるものだ。未知の感染症の脅威、イデオロギー対立と経済的利害による国家間の緊張の高まり、各地での紛争やテロの勃発。日本は隣国からのミサイル攻撃が日常茶飯事になっており、警報システムが作動しても市民はいちいち動じない。

 岬の秘密の起源は、太平洋戦争にまで遡る。その当時の逼迫した社会や人間の心理と、麻痺したような近未来(それは現在のわれわれの延長線上にある)とが、ステレオグラムのように重なりあう。

(牧眞司)

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