「人生に飽きて」来日 北欧人女性が会いたかった日本人とは

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「人生に飽きて」来日 北欧人女性が会いたかった日本人とは

やりがいを感じない仕事と同じように過ぎていく毎日に飽き飽きして、人生をリセットする妄想をしたことがある人は少なくないはず。今の生活のすべてを中断して、ずっと我慢してきたことや子どもの頃からの夢を追ってみる。妄想は膨らむが、やはり「決断」はなかなかできない。

それでも思い切ってやってみると、人生の転機になることがある。『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』(ミア・カンキマキ著、末延弘子訳、草思社刊)は、それまでの生活から離れて、フィンランドから日本にやってきた女性によるエッセイだ。

■「人生に飽きた」フィンランド人女性が日本にやってきた理由

私は自分の人生に飽きてしまった。死ぬほどつまらない。本当につまらないから、その気になれば死んでもいい。(P10より)

毎日同じ時間に起きて、会社に行き、会議に出て、帰る。この繰り返しにうんざりしていた著者はある時一念発起。長期休暇をとって一年間日本を旅することを決める。目当てはかねてから思いをはせていた平安時代の文化であり、清少納言だった。となると、日本での拠点は京都だ。

著者によると、およそ千年前に清少納言が書物のなかで着目していたことが、時代も生まれた国も違う著者には不思議と身近に感じられていたという。そして『枕草子』に代表される「随筆」は、個人を話題にしていたり、断片的だったりと、現代のブログに通じるように思えた。筆者にとって清少納言は、個人としての共感の対象であり、時間を超えた現代性を持つ存在だったようだ。

清少納言に心から共感し、生活のことあるごとに彼女を思い出す人というのは日本人でもなかなかいないはずだが、著者はいわゆる「マニア」。時代や国を超えるだけの知識と想像力を持っていて、それは作中のあちらこちらで語られる。フィンランド人旅行者がつづる清少納言の書物についての考察や当時の女房たちの暮らしぶりの解説を読んでいると思うと不思議な感じがするが、これがとてもおもしろいのだ。

著者はいたるところで「セイ(清少納言のこと)」とよびかける。

セイ、あなたの世界では髪は女性にとっていちばん大切な財産だった。髪は長くてまっすぐでなければならず、そのまま地面までいつも垂らしていなければならなかったし、その人の魅力を語りたいときにはいつも髪のことが話に上った(あなたの髪については、とびきりすばらしいコンディションではなく、付け毛を使っていたことが知られている)。(P197より)

美容院で髪を切ってもらうときは清少納言ら宮中の女たちの長い髪の美しさと不便さに思いを馳せ、京都の古びた宿の部屋に横たわっては、清少納言のいた華やかなイメージのある宮廷生活が、現代の感覚ではかなり質素で不便だったのではないかと推測する。日本の図書館では清少納言についての資料の乏しさに絶望し、対照的に多くの資料が残っている紫式部との違いを嘆く。

本国で得た知識をもとに徒手空拳で清少納言の実像に迫ろうとする苦闘や日本での生活で感じた新鮮さが、ところどころで引用される清少納言の文章と時に平行し、時に交差する。

思うように旅行ができない今、「ある場所に行き、そこで人と交流し、その土地で生きた人を知る」という旅の醍醐味を思い出させてくれる一冊であるとともに、それまでの人生を一度ストップさせ自分がやりたいことを思い切ってやってみることで、人生に新しい展開が拓けることがあると教えてくれる本でもある。とにもかくにも著者の旅は、このデビュー作として結実したのだから。

(新刊JP編集部)

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