返還直前の香港を駆ける〜岩井圭也『水よ踊れ』
無知は罪だろうか。私自身を含め、自分がその一員でありながらアジアの歴史に疎い日本人は多い。『水よ踊れ』に書かれているのは、中国に返還される直前の香港。もちろんニュースを見て知ってはいたが、香港の中国返還というものが歴史的にどのような意味を持つのか、当時も現在もごく表層的な事実を認識しているだけだ。また本書において言及される「天安門事件」や「ボートピープル」といったキーワードについても、あくまで”知っている”だけであって、”理解している”とはとてもいえない。無知は罪ではないと思いたい。しかし、知ろうとしないことはきっと怠惰だ。
主人公・瀬戸和志は日本からの交換留学生。日本ではT大学工学部建築学科3年生の彼は、香港大学建築学院2年生として大学生活を送る。父の仕事の関係で13歳から17歳までの4年間を香港で過ごした和志は、ある目的を持ってこの地に戻ってきた。「世界トップレベルの大学で建築を学ぶ」という表向きの理由とは別に、初恋の少女・梨欣が亡くなった理由を知りたいという思いを心に秘めて。
梨欣と出会ったのは15歳の頃、和志が「最も不思議な建築物」と考える九龍城砦にひとりで行ってみようとしたとき。九龍城砦の内部は迷宮のように複雑で、巨大なスラムに紛れ込んでしまって右も左もわからない和志の窮地を救ってくれたのが、梨欣だった。自分とは住む世界の違う梨欣に、急速にひかれていく和志。だが、思いが通じ合ったふたりに別れの時が近づく。父の仕事のめどがたったことで、急に日本への帰国が決まったのだ。帰国直前に最後に梨欣に会いに行ったとき、和志は彼女が自分の住まいであるマンションの屋上から墜落する現場に遭遇。その場から立ち去る不審な白人男性を目撃した和志は、その男が何らかの形で関係していることを直感する。しかし、警察は「不注意による事故死」として、梨欣の死を処理。一度は両親と日本へ帰国したものの、再び香港の地を踏んだ和志は、まずは当時の様子を知る人間を探すことから始めようとする。が、怪しげな家族風の4人組に脅され、金品を巻き上げられそうに。
とっさの機転で、和志はその4人に”人探しに協力してくれ”と話を持ちかけ、被害を最小限にとどめることに成功する。4人の中で最も広東語が堪能なトゥイは聡明な少女であったが、凄絶な生い立ちの苦労によるものなのか抜け目なく、また容赦のなさも持ち合わせていた。和志は、白人の男もしくは梨欣の家族を見つけてほしいと、トゥイたちに依頼する。3週間後、梨欣の兄・阿賢が見つかったとの報告を受けるが…。
1967年に生まれた私は戦争を知らず、物心がついた頃には大学闘争や連合赤軍のあさま山荘事件なども過去のものだった。ベトナム戦争の終結も記憶になく、湾岸戦争に当事者意識を持つこともなかった。世界のどこかではいまだに戦争が続いていることを知ってはいても、それはあくまでうわべの知識でしかなかった。
けれども、世の中には国と国あるいは異なる宗教同士といった対立する勢力の争いに、否応なしに巻き込まれて生きなければならない人々がいる。そのことを、和志をはじめとする登場人物たちの姿に改めて思い知らされた。決して戦争などを容認する気持ちはないが、障害があってこそ感情を熱く揺さぶられるということもあるのではないだろうかと、本書を読んで思った。いくつもの国に引き裂かれる気持ちを自分が完全にはわかっていないことは承知しつつも、物語の終盤の和志が香港に対する思いをあふれさせるシーンには胸を打たれずにいられなかった。
世界にはさまざまな国があり、さまざまな思想がある。しかし、何よりも多様なのは人間という存在そのものに違いない。富める者、貧しき者。夢多き者、夢に破れた者。這い上がろうとする者、歩みを止めた者。和志の選択によって彼がどのように生きていったかは、終章で描かれる。世の中は不平等であり、不公平だ。でも、生きていればいつか逆転の目もあるかもしれない。だから、生きろ、生きろ、生きろ。時代の波に飲まれるな、自分の信じる道を進め。
(松井ゆかり)
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