江戸川乱歩をドストエフスキーへ還流する、文学的メビウスの環
巻頭に配された「アントンと清姫」、巻末を飾る書き下ろし作品「ドグラートフ・マグラノフスキー」。もうタイトルを見ただけでワクワクするではないか。文学とSFのセンスに優れた名手、高野史緒による超絶リミックス作品集である。全六篇を収録。
「アントンと清姫」は、清姫を捨てて本国ソ連(当時)へ帰国したアントンを、燃える蛇体と化した清姫が追い、ついにはクレムリンの鐘に身を隠したアントンを、鐘ごと焼き殺した(それほど遠くない)過去のできごとが前提にある。ラトヴィア出身で日本の大学で研究をつづけている物理学者が、新発明の時間砲によって過去改変し、アントンを救おうと目論んでいる。物語は、この学者の甥(彼もラトヴィア出身で日本へ留学中)の視点で進む。彼が歩いてまわるのどかな上野の花見の情景と、遠いモスクワでの過去の悲劇と改変によるスペクタクルが、重ねあせて語られる。著者によれば「ワイドスクリーン歌舞伎」とのこと。
「ドグラートフ・マグラノフスキー」は、なんと『ドグラ・マグラ』と『悪霊』のリミックス。自分が誰かもわからず精神病院で意識を取り戻した語り手は、饒舌で慇懃な医師によって、埃の積もった教授室へ案内され、そこで『悪霊』と題された分厚い原稿の束を見つける……。新しいテクノロジーのギミックとしてVRゴーグルが登場するが、電脳的な意匠やロジックではなく、あくまで小説(テキスト)が本来的に構成するヴァーチャル性を表現した一篇である。
この作品集の白眉は、「プシホロギーチェスキー・テスト」だ。犯罪を計画するほど困窮した苦学生ラスコーリニコフは、黄昏の露店で「心理試験」と題された冊子を見つける。奥付には一九二五年とある。いまより六十年も未来の日付ではないか。まあ、地下出版にありがちな、出所を隠すための誤魔化しだろう。その冊子を読んだラスコーリニコフは、犯罪計画のブラッシュアップを思いつく。
江戸川乱歩は『罪と罰』を読み、そのミステリの骨組みを「心理試験」へと応用したという。そう考えると、この高野作品はメビウスの環をつなぐような手続きで、「心理試験」を『罪と罰』へと還流させているのである。さりげない叙述によって、因果をくるりと裏返してみせる妙技が素晴らしい。
ドストエフスキーの有名作が素材なので、読者は(たとえ『罪と罰』を読んでいなくとも)ラスコーリニコフが仕掛けた完全犯罪の破綻を予感するわけだが、物語の決着点はそれとは別の、まったく思いがけない方向へ逸れていく。そう来たか!
(牧眞司)
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