ヴァランダー・シリーズ最後の書『手/ヴァランダーの世界』
――これはクルト・ヴァランダー・シリーズ最後の出版物である。このシリーズはこの本をもって終了する。
寂しさを感じながら著者あとがきの末尾に記された一文を読んだ。
ヘニング・マンケル『手/ヴァランダーの世界』(創元推理文庫)は、1990年代から2000年代初頭にかけて発表され、本国スウェーデンのみならず北欧圏を代表するミステリーとして諸国語にも翻訳されたシリーズの掉尾を飾る作品である。
クルト・ヴァランダーのサーガとしては番外的な位置付けとなる。というのも本作の巻頭に置かれた「手」は、2004年にオランダで開かれたブックフェアにおいて、本を購入した人の特典冊子として配布されるために執筆された中篇だからだ。正規の連作は10長篇と1短篇集の11冊、最終巻の『苦悩する男』は2009年に刊行されている。その4年後、マンケル自身がシリーズ執筆の背景を明かすエッセイを執筆し、登場する人名や地名などを網羅した索引と共に作品ガイド「ヴァランダーの世界」として構成した。それを「手」と合わせて書籍化したのが本書である。だから、『苦悩する男』までのシリーズ作品を未読の方でも躊躇する必要はない。本書を脇に置いて参照しながら、第一作『殺人者の顔』から読み始めるというやり方をしてもいいのではないかとも思う。
「手」の作中時間は第9長篇『霜の降りる前に』と最終作『苦悩する男』の間、2002年10月に設定されている。さまざまな職を転々としたヴァランダーの娘リンダは警察官となり、『霜の降りる前に』で父親と同じイースタ署に見習いとして配属された。その後の話なので、ヴァランダーと同居している。日曜日を駄目にしないため、その日だけはお互い相手に文句を言わないことになっているという記述があって、微笑ましい。
この作品でのヴァランダーは50代半ばの年齢である。街中での生活に倦んで田舎暮らしを夢見る彼は、同僚の刑事マーティンソンから望み通りの物件を紹介される。その家を一目見て気に入ったヴァランダーは早速購入を検討し始めるのだが、裏庭でとんでもないものを発見してしまう。白骨化した人間の手が地面から突き出していたのだ。残念ながら、終の住処を買うという夢はお預けだ。
鑑識の調べによって、骨は女性のもので、1930年から1950年の間に死んだということがわかる。奇妙なことに、該当する行方不明者が見つからないのである。骨の主としてふさわしい人物についての失踪届は出ていなかった。どういうことかと訝しむヴァランダーは、ありうべき可能性を探り始める。
分量は文庫にして約150ページだから、いつもの長篇ほどの厚みは望むべくもない。元が配布冊子だったからか心なしか章の転換も早く、やや薄味の感はあるのだが、それでもヴァランダーの目が明らかにしていく真相にはスウェーデン社会の根幹にかかわるような根深い病理が潜んでおり、しっかりとした読み応えがある。ひさしぶりのヴァランダーものを読んで再認識したのは語り口の独特さ、おもしろさである。たとえばこんな一文に目が止まる。
――いつもながらヴァランダーは自分の領域に他の人間が口を出すことに腹を立てた。一緒に来て耳を傾け、学ぶのはいいが、直接に質問したりすることは許せない、まず自分に訊いてからするべきだという考えなのだ。
ヴァランダーの偏屈な性格を示しているのだが、たぶんこれは訳者・柳沢由実子のお手柄で「いつもながら」という一語が効いている。ヴァランダーの視点に立ってその場で起きていること、彼が考えていることを読者に知らせると同時に、登場人物を俯瞰できる作者の視点から、主人公がどのような変わらぬ属性の主であるかをさりげなく示している。この距離感である。ヴァランダーに寄り添いつつも完全には視点人物に同化しない位置に作者は身を置き、さりとて決して神の視点にならないよう、つまり地上にいる人間にわからないことは書かないというルールを守りながらマンケルは叙述を行っている。この書き方ゆえに、基本的には現在進行形の物語でありながら、作中のところどころで読者は今目の前で展開していることの他にも何かがありそうだ、かつて目にしたもの、いつか物語の先で起きることを今もしかするとそれとなく読まされているのかもしれないという、フラッシュバック/フラッシュフォワードの感覚を味わうことになる。
こういう一文もいかにもヘニング・マンケルらしい。
――ヴァランダーは高いヒールのブーツ姿のカッチャ・ブロムベリを見送った。彼女にはこの先決して会うことはないだろうと思った。だが、きっと忘れられない人間の一人となるだろう。
「決して会うことはない」という一回性を帯びたものごとが「きっと忘れられない」という記銘力を持つ。それがヘニング・マンケルの小説なのである。
「クルト・ヴァランダーの世界」については実際にお読みいただき、「きっと忘れられない」登場人物の最たる存在である主人公をマンケルがどのように造形したかを味わっていただくのがいいだろう。マンケルはクルト・ヴァランダーを生み出すことにより、警察小説の連作が、等身大の人間らしい変化を随時描いていく、主人公の生涯に関するサーガとしても成立しうると示した。ミステリーのキャラクター小説化である。この業績はもっと高く評価されるべきだと思う。人間を描いた作家、というとあまりにもありふれた物言いになってしまうが、ヘニング・マンケルとはそういう書き手であった。だからこそ犯罪という、人間の営みの最北端ともいえる行為を主題とした物語を書き続けることができたのだ。
(杉江松恋)
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