夢の国を旅して”覚醒する世界”へと至る
原題はThe Dream-Quest of Vellitt Boe、物語がはじまる街の名はウルタールとくれば、ピンとくるひとも多かろう。この作品の霊感源はH・P・ラヴクラフトだ。
ラヴクラフトと言えば《クトゥルー神話》を構成するコズミックホラーの作品群が有名だが、初期には《ドリーム・サイクル》と呼ばれる、それほどホラーではない、どちらかといえばロード・ダンセイニ調の連作を手がけていた。そのうちのひとつが「未知なるカダスを夢に求めて」(The Dream-Quest of Unknown Kadath)で、現実世界に生まれた青年ランドルフ・カーターが夢の国を旅し、神々が暮らす領域カダスをめざす。
本書は、それとは逆の道筋をたどる。夢の国の住人であるヴェリット・ボーが、夢の国のさまざまな地域を経て、”覚醒する世界”への門をくぐり抜けるのだ。言うまでもなく、”覚醒する世界”とは現実のことである。
キジ・ジョンスンは十歳のときに「未知なるカダスを夢に求めて」を、わくわくハラハラしながら読んだという。しかし、同時に人種差別的な内容に不快を覚え、また後年になって物語のなかに女性が不在であることに気づいた。そうした問題点を踏まえ、『猫の街から世界を夢見る』は書かれている。いわば「未知なるカダスを夢に求めて」の批判的なリトールドだ。
主人公ヴェリット・ボーは若いときに夢の国の各地を旅してまわり、多くの冒険とそれなりのロマンスを経験したが、五十五歳になったいまはウルタール大学女子カレッジの教授に落ち着いていた。ある日、教え子のひとり、クラリー・ジュラットが”覚醒する世界”から来た男と駆け落ちしてしまう。この不祥事が表沙汰になったら、カレッジの存亡にかかわる。かくしてヴェリットはクラリーを連れ戻すため、さまざまな危険や驚異、剣呑な異種族が待ちうける旅に出ることとなった。
五十五歳のヴェリットの旅が、若いときの旅と重なって過去のできごとが甦る構成になっているのが読みどころ。たんなる追想だけではなく、懐かしい(わけありの)知りあいたちとの再会もある。ただし、全篇を通じてヴェリットは仲間がなく、自分の身の丈にしっくり合うように孤独とつきあっている。寂しいが成熟した自立だ。
それと対照的なのは、恋にのぼせて駆け落ちしたクラリーだ。しかし、のぼせたままで終わりはしない。物語の終盤、旅が”覚醒する世界”へ至ったときに大きな転換がある。いろいろな意味で、女性がしなやかに活躍する小説だ。
(牧眞司)
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