伊藤典夫が手ずから選んで訳した英米SFの名作八篇
伊藤典夫さんと言えば、日本にジャンルSFが定着しはじめた1960年代から英米のSF動向を紹介、新鮮な作品の翻訳を担ってきた第一人者。その伊藤さんがこれまで翻訳したなかから、とくに思いいれの深い作品を選りすぐったアンソロジーが本書である。
収録作のうちいちばん発表年代が古いのは、アラン・E・ナース「偽態」。人間になりすまして宇宙船に入りこんだエイリアンをどうやって見つけだすか? ジョン・W・キャンベル「影が行く」(映画『遊星からの物体X』の原作)につらなるサスペンスSFである。クライマックスにひとひねり仕掛けられているが、これは映像的効果であって、文字で読むとショッキングさが減じてしまう。しかし、そこも含めて、懐かしい感覚の一篇だ。
レイモンド・F・ジョーンズ「神々の贈り物」は、ファーストコンタクト・テーマの作品。空飛ぶ円盤によってもたらされた高度な異星文明を、地球の国々が互いを牽制しながら受容しようとする。ストーリー的な類似はないが、SF映画の古典『地球の静止する日』に似た雰囲気を感じる。
ブライアン・W・オールディス「リトルボーイ再び」は、核時代の到来百年祭をめぐるサタイア。不謹慎を承知でこういう題材に手を染めるあたり、オールディスはイギリスの筒井康隆といったところだろう。
フィリップ・ホセ・ファーマー「キング・コング墜ちてのち」は、エンパイア・ステート・ビルでのキング・コングの大立ち回りが、実際の出来事として回顧される。トリヴィアルなくすぐりがいくつもちりばめられ、ユーモラスかつノスタルジックな味わいを盛りあげる。
M・ジョン・ハリスン「地を統べるもの」は、神と呼ばれる異星物が地球に降臨してのちの世界を描く。人智を超えた景観はストルガツキー兄弟『ストーカー』以上で、ハリスンの超絶描写はともすれば読者の想像力の閾値を超えてしまう。収録作品中もっとも手強い一篇。
それと対照的に、ジョン・モレッシイ「最後のジェリー・フェイギン・ショウ」は、肩の凝らないユーモアSF。売れっ子司会者のジェリー・フェイギンは、地球に来訪したばかりの異星人を、自分の番組のゲストとして引っ張り出すことに成功する。真面目一辺倒で融通のきかない異星人をいじってウケを取っていたが……。
フレデリック・ポール「フェルミと冬」は、核戦争後の気候変動による極寒の到来を描く。最小限のドラマと、淡々としたディテールの積み重ねだけで語りきった傑作。1985年に発表され、翌年にヒューゴー賞を受賞している。
巻末を飾るのはガードナー・ドゾア「海の鎖」。ここまでは発表年代順に作品が並んでいたが、この作品だけ例外だ。初出は1973年刊のロバート・シルヴァーバーグ編アンソロジーChains of the Sea(つまりドゾア作品が表題作)。これもファーストコンタクト・テーマだが、地球へ来た異星人にとって人類などまったく眼中にないところが新基軸。異星人が接触するのは、地球にずっと昔から存在していたものの、人類にとってはまったく未知の種族なのだ。人類は蚊帳の外におかれっぱなしで事態が進み、その様子がひとりの少年(彼だけは未知の種族を察知している)と高度に発達したAI(人類の指示を必要せず自律的に判断をおこなう)の観点から断片的に綴られる。なかなか凝った構成の作品だ。
(牧眞司)
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