三浦しをん『エレジーは流れない』で元気になる!
穂積怜は男子高校生。餅湯温泉駅前商店街で「お土産 ほづみ」という土産物店を営む母・寿絵とのふたり暮らしだ。自宅兼店舗の窓を開ければ商店街のアーケードや安っぽいビニールの紅葉の飾りが目に入り、台所には玉暖簾がかかっているという、前世紀的な装飾に満ちた環境である。寿絵は年齢的には若いがしばしば腰痛を訴え、怜が身だしなみに時間をかけようものなら「色気づいた」とからかってくるようなややデリカシーに欠けるタイプ。つまりはごく一般的な母親である。
しかしながら、怜にはもうひとり母親がいるのだった。月に1週間だけ、怜は屋敷街である桜台の光岡伊都子の豪邸で過ごす。伊都子は50代後半ながら、肌も髪も手入れが行き届いていてゴージャス。自身の亡父から食品卸問屋を継いだ後、ファミレスや高齢者向けの食事デリバリーにも事業を拡大させている女社長。自宅が東京にある伊都子にとって桜台の家は別荘で、家事全般を担当する武藤慎一(推定30代前半)という謎の存在を住まわせている。そして、月の第3週を怜と過ごすために、伊都子はその1週間は毎日東京と餅湯を往復するのだ。
謎に満ちた家族関係について、怜は疑問を抱いたまま、しかし母親たちには何も聞けずに成長した。どうして母親がふたりいるのか、どちらが自分を生んだのか。父親はどんな人間なのか、現在生きているのか死んでいるのか。怜は何も知らない。
ただまあ、こういったミステリー風味(?)は本書の一面である。基本的には男子高校生たちの日常が(多少の事件は起きるものの)ゆるゆると描かれている作品で、まずは若者たちのアホさや生真面目さやキュートさを楽しむのが正解ではないかと思う。いつもつるんでいるのは、県立餅湯高校に通う5人。怜、怜の幼なじみで干物店の息子・佐藤竜人、同じく幼なじみで喫茶店の息子・丸山和樹(あだ名は「マルちゃん」または「ジミー」)、小学校から一緒で住宅街住まいの森川心平の4人は、餅湯町の出身。高校で親しくなった旅館の息子・藤島翔太は、元湯町出身だ。ちなみに、餅湯と元湯は”新幹線の駅をどちらの町の駅に作るか”というもめごとが勃発して以来、「微妙な緊張関係」が何十年も続いている(餅湯温泉の中心地は以前は元湯町にあったため、そちらにできるだろうというのが大方の見方だったのだが、蓋を開けてみたら新幹線の駅は餅湯町に建設された)。そんなわけで最初は藤島ともなんとなく距離があったのだが、修学旅行先での他校とのしょうもない小競り合いをきっかけに親しくなったのだった。
いや~若い頃の悩みってこんな感じでしたよね! そこは男女とも共通するものがあるようにも思ったり。一方で、うちの息子たち(3人とも怜タイプ)もわりと最近まで男子高校生だったのだけど、親に対してこんな風に感じていたのかもしれないといまさら気づかされることも。
いまとなってはさほど深刻とも感じられないようなことも、高校時代には天地を揺るがすような大問題に思えていたものだった。とはいえ、まだ世間というものがよくわかっていない高校生として向かい合うとなればやっぱり適当に流せないこともあったし、そのときに思いっきり苦悩したことが先々の人生に効いてくるというところもある。というわけで、若い読者は本書を読んで大いに共感し悩むとよいだろう。進学に迷う怜や、案外しっかり将来について考えていたりする竜人、自分の中にあるマイナスの感情を持て余すマルちゃんなど、誰かしらに心を寄せて読むことができるのではないだろうか。
「そんな青い時期はとっくに通りすぎちゃったよ!」という年長者も、嘆くことはない。年齢を重ねたことによって、「若いうちは若いうちでたいへんだよな」とか「あの頃もたいへんだったけど乗り越えてきたし」とか「悩めるうちが花だ!」とか、自分に都合のよいように考えてお悩みを軽減できる老獪さを身につけてこられた読者は多いと思う。過剰な自意識やシリアスになりがちな思考回路に翻弄されたことも、人生においてはきっと必要だったのだ。スパイばりの諜報活動に励む商店街の人々や、「男は家を出れば七人の敵がいると申しますが」というどこかの経営者の言葉を一笑に付す寿絵や伊都子も、記憶がよみがえって赤面するような思い出や眠れない夜をいくつも経験したうえで現在があるに違いない。とにかく、老いも若きもがむしゃらに生きないといけないなと元気づけられた。三浦さんの作品を読めば、たいていそんな気持ちになれるんですけどね。
(松井ゆかり)
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