ユダヤ人古書店主の決死の犯罪捜査『狼たちの城』
この設定で話がつまらなくなるはずがないだろう。
そう思って楽しみに読み始めたのが、本邦初紹介のオーストリア作家アレックス・ベール『狼たちの城』(扶桑社ミステリー)だ。表紙裏のあらすじを読むだけでこれほど期待が高まる作品というのも珍しい。ページを繰り始めると、すぐに期待が確信に変わる。
作品内の時計の針は、1942年3月19日の木曜日から回り始める。主人公のイザーク・ルビンシュタインは、ドイツ・バイエルン州のニュルンベルクに住むユダヤ人である。職業は、元古書店主。元とついているのはナチスによって店を取り上げられてしまったからだ。店だけではない。私有財産のほとんども。さらに残酷な通達が追い打ちをかける。ナチスは彼らユダヤ人に対して、住みなれた町からの退去を命じてきた。事情に詳しい者によれば、行く先ははるか東のポーランドであり、土地の開墾をさせられるのだという。だがイザークは、収容所に送られたユダヤ人たちを待ち受けるのがもっと過酷な運命であることを悟っていた。
絶体絶命の危機に瀕したイザークは元恋人のクララ・ブフリューガーを訪ねた。彼女にはレジスタンス活動に加わっているという噂があったためだ。初めはつれない態度を取ったクララだったが、手引きをして彼の家族を逃がしてくれる。だが、イザークの行く先は違っていた。身分を証明する書類一式を手渡され、特別列車に乗るように指示される。向かう先はなんとゲシュタポのニュルンベルク本部だ。イザークが手にした身分証明書はナチス親衛隊少佐アドルフ・ヴァイスマンのものだった。ゲシュタポ長官のゲオルク・メルテンによってベルリンから呼び寄せられた特別捜査官である。かくして数刻前までは待ち受ける死の運命に怯えるユダヤ人だったイザーク・ルビンシュタインは、腕利きの捜査官アドルフ・ヴァイスマンとして殺人事件の謎解きを任されることになった。
主人公が心ならずも他の人物になりすますことになるという展開の物語は数多く書かれているが、化ける対象との落差が大きいほうが話はおもしろくなる。イザークは冒険家でもなんでもなく、気の強い妹から何か言われればおろおろしてしまうような心の優しい人物であり、かつてクララと別れたのも、旧大陸を捨てて新天地を目指そうと主張した恋人に同調することができなかったからだった。本に詳しいだけが取り柄の優柔不断な男なのだ。その彼が大胆不敵にもナチス高官になり、しかも難事件の捜査に当たることになるわけである。もちろん殺人事件の現場など見るのは初めてだが、ミステリーも相当読んでいるイザークは、コナン・ドイルやアガサ・クリスティーに関する知識を総動員して場を乗り切ろうとする。
「明白な事実ほど人を惑わすものはない……」イザークはシャーロック・ホームズの言葉を引用した。
シュミットはノートと鉛筆をさっと取りだした。「明白な事実ほど……」彼はその言葉を書きつけた。「覚えておかなければ」
レジスタンスたちがイザークをゲシュタポ組織の中枢に送り込んだのは、彼にあることをさせるためだ。成功すれば悲惨な戦争を早く終わらせることができるかもしれないという任務で、達成のための期限は三日である。この要素によって本作は、任務遂行型エスピオナージュの色彩も帯びている。にわかスパイがそれをやり遂げられるか、という関心である。
ミステリーとしてはもちろん、殺人事件の謎解きという要素もある。こちらはかなり本格的なものだ。犠牲者はロッテ・ラナーという人気女優で、殺されたのはゲシュタポ長官代理であるフリッツ・ノスケ中佐の私邸内であった。目撃証言によれば、犯行当時の建物内は、殺されたラナー以外にはノスケ中佐以外の者はいなかった。つまりノスケが第一容疑者なのだが、彼はその状況が自分を陥れるための卑劣な罠だと主張する。自らの無罪を証明しようとして何の罪咎もない守衛を拷問し、自白させようともするのだ。もしノスケが犯人でないとすれば、現場は密室状態だったことになる。この不可能犯罪の謎解きにもイザークは挑まなければならない。
事件の捜査をする主人公が常に死の恐怖に脅かされているというタイプの物語である。秘密警察の跋扈する全体主義国家の警察小説といえば、先日もスターリン体制下のソ連が舞台のベン・クリード『血の葬送曲』(小学館文庫)が翻訳されたが、主人公の危うさという意味では本作はその上を行く。なにしろユダヤ人のなりすましであるということが露見した瞬間に死は免れないからだ。そんな不安定な綱渡りをイザークはやり遂げられるのか。
作者のアレックス・ベールは、本作の前にも第一次世界大戦後のウィーンを舞台とした警察小説連作で好評を博しており、すでに実績のある作家だ。戦時下の風景を詳細に描いているのも魅力の一つで、普通のひとびとがどのようにナチスの思想を受け入れていったのか、ということも窺える物語の作りになっている。イザークの世話係としてつけられた士官、ハンス・シュミットはもともとユダヤ人に対する憎悪もなく、普通に付き合っていた。しかし親ナチスのジャーナリストや為政者の演説により「目を開かれて」いったのだ。こうした形でユダヤ陰謀論に転じてしまう人のことを、2021年の日本に住んでいる私は笑うことができない。周囲でも同じようなことが起きているからである。
ユダヤ人たちは自分の出自を表すダビデの星を服につけることを強制されていた。それを街で見たイザークは、危険だと知りつつもついシュミットに言ってしまう。「もしあそこにいる人たちが星を外していたら、どうなったと思う」と。もちろんそれは、星による区別さえなければ同じ人間ではないか、という意味だ。しかしシュミットにはその意が伝わらない。「わたしなら、その狡そうな盗み見るような目つきから気づくだろうと思います。あの目の背後には魂というものがありません」と彼は言うのだ。
手段としての暴力と権力を手にした者はそうではない他者を人ではなく、魂の籠らない木偶として見る。その恐ろしさも本書には描かれている。これでおもしろくならないはずがあるものか、とやはり私は思うのである。
(杉江松恋)
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