ブロック編のアート・アンソロジー『短編回廊』

ブロック編のアート・アンソロジー『短編回廊』

 美しき罠、あるいは牢獄の展覧会と言うべきか。

 ローレンス・ブロック編『短編回廊』(ハーパーコリンズ・ジャパン)は「アートから生まれた17の物語」という副題が示す通り、芸術作品を主題としたアンソロジーである。参加作家はそれぞれ一つの作品を選び、そこから受けたイメージを膨らませて物語を執筆している。選ばれるのは絵画とは限らず、クリスティン・K・ラッシュ「考える人たち」ではオーギュスト・ロダンの有名なブロンズ像「考える人」が用いられている。クリーブランド美術館で屋外展示をされているこの像は、反戦運動が盛んだった1970年にテロの対象となり、一部が損傷した。その事実を受けて、テロ当事者の視点も使って描かれた短篇だ。

 最も古い作品が登場するのは、ジェフリー・ディーヴァー「意味深い発見」だろう。人類最古の絵画と言われるラスコー洞窟の壁画がモチーフとして使われているのである。デラとロジャーのファニング夫妻は考古学者である。世間でもそこそこの知名度を持つ彼らだが、近年は目立った功績を挙げられずにいた。ラスコー洞窟の壁画が議題とされる学会が開かれ、夫妻はパリにやってくる。そこで出会ったある男から二人は「意味深い発見」に関する耳寄りな情報を得るのである。『クリスマス・プレゼント』(文春文庫)などの作品集でディーヴァーは、長篇で駆使したどんでん返しの技巧が短篇でも、より鮮やかな形で使えることを証明してみせた。その技が見事な一篇である。観光ミステリーの味もあり、読んでいてアーロン・エルキンズのギデオン・オリヴァー・シリーズを連想した。

 日本の浮世絵を題材としたものもある。これまた短篇の名手であるS・J・ローザン「グレートウェーブ」で、使われているのは題名からお察しのとおり葛飾北斎「富獄三十六景 神奈川沖浪裏」だ。なんとも不思議な形で絵と登場人物が関わりを持つことになる作品で、ローザンの優れた洞察力が本アンソロジーの抱える闇の側面を照らし出している。美を追求する者は、しばしばそれに心を奪われるあまり、人生において重要なものを失念してしまう。それが芸術家の微笑ましい逸話で収まれば、まだいい。中には看過すべからざる悪徳となることもあるだろう。だからこそ、犯罪と美術品の関わりを描いたミステリーが成立するわけである。「グレートウェーブ」は最も端的な形でこの背徳を描いた。

 収録作中のお気に入りはジョイス・キャロル・オーツ「美しい日々」だ。芸術に関する闇が描かれたという点では「グレートウェーブ」とよく似ている短篇である。世界の中にある美しいものを追求していこうという行為は、それ以外の何を顧みないことで成立するのか。オーツの筆が描き出すのはそういう関係性である。芸術活動が社会の中でいかに位置づけられるべきかということについてはしばしば議論が起こる。モダンアート周辺で近年に起きたいくつかの問題を読者は思い出すかもしれない。

 本作を読んで連想したオーツ作品は「トウモロコシの乙女」(河出文庫『トウモロコシの乙女、あるいは七つの悪夢』所収)である。その可憐さ、汚れのなさゆえに負の感情の対象となってしまう少女が語り手だ。犠牲者の物語なのである。少女は語る。

 ――そうやって、あたしたちは学んだの、肉体をまとって生きていくのは難しいことなんだって。肉体はお人形のような可愛い顔を裏切り、その可愛らしさを名ばかりの偽物にしてしまうのよ。 

 美しいものへの欲望を描くことで、弱者が常に強者によって収奪される立場にあるという世界の理不尽さを浮き彫りにする書き手もいる。発掘現場での奇妙な一幕を描くトマス・プラック「真実は井戸よりいでて人類を恥じ入らせる」は、ジャン・レオン・ジェロームの作品をモチーフとし、人類史に恥ずべき一面があることを読者に印象づける短篇だ。

 狭義のミステリー概念に収まりにくいものを先に紹介したが、もちろんそうではない短篇も多数含まれている。古い映画ファンの方ならば題名を見ただけで、ああ、あれか、と内容に当たりをつけそうなのが、ジョナサン・サントロファー「ガス燈」で、ルネ・マグリット「光の帝国」が精神の不均衡に陥った者の心理状態を浮かび上がらせていく。夫婦の間の犯罪を描いたドメスティック・スリラーである。ジル・D・ブロック「安全のためのルール」も心理スリラーで、陪審員として裁判所に招かれた女性が過去の記憶を呼び起こされる。アート・フラームの可愛らしいポップアートがこんな不安の物語に結実したというのが驚きだ。

 ニコラス・クリストファー「扇を持つ娘」はゴーギャンを道糸にしてナチスの略奪美術とレジスタンスに関する秘話が語られる歴史ドラマである。壮大さでいえばマイクル・コナリー「第三のパネル」の風呂敷の拡げ方も見事で、こんな話がちゃんと短篇に収まるのか、と訝しみながら読んでいると、綺麗な落ちがつけられる。モチーフとして使われているのがヒエロニムス・ボッシュ「快楽の園」、というのがファンにとっては嬉しいところだろう。言うまでもなくヒエロニムス・ボッシュとはコナリーのシリーズ作品に登場する主人公の名前だからである。大物作家ではもう一人、リー・チャイルドの名前も挙げておきたい。オーギュスト・ルノワール絵画を題材にした、本アンソロジー中でももっともそれらしい美術ミステリーであり、チャイルドがスリラーだけではなく、トリックの考案者としても優れた作家でもあることを読者に見せつける。おっと、もう一人、ジョー・R・ランズデールのことも言っておかなければ。「理髪師チャーリー」は密閉空間で繰り広げられる暴力を描いた犯罪小説である。これまたモチーフがノーマン・ロックウェルのポップアートで、流血を思わせる要素がまったくない点がいい。

 本アンソロジーはローレンス・ブロックが編者を務めるシリーズの第二作で、前作『短編画廊』は先日文庫化された。こちらはエドワード・ホッパー作品を書き手がモチーフとして用いるという趣旨のアンゾロジーである。

 前作はすべて書き下ろしだったのが、今回は2篇だけ既存の作品が収められている。「序文」でブロックがそのへんの事情について書いているのでご参照されたい。旧作のうち1編は、デイヴィッド・マレル「オレンジは苦悩、ブルーは狂気」だ。ヴィンセント・ファン・ゴッホについて書かれた短篇のうちで知っている限りでは最もとんでもない展開になる、美術ミステリーのマスターピースとでもいうべき作品だからこれは仕方ない。もう1編はマット・スカダーものの「ダヴィデを探して」だ。言われれてみればブロックにはこの美術ミステリーがあるじゃないか、とファンなら誰れもいうはずの作品なので、これまた再録は仕方ないのである。初めて読む人はきっと驚くはずだ。ダヴィデ、そうか、探されちゃったか。

(杉江松恋)

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