いじめについて

いじめについて

メディアが伝える原因探しがしんどくなって、久しぶりにお寺の屋根の上に登ってみました。

僕は小学生時代、お寺に生まれた子どもとして同級生や周りの大人から「いじられ」続ける暗黒時代を過ごしました。

「人が死んだらお前んち儲かる」「賽銭箱のお金もってこい」
「線香臭いからこっちにくるな」「お寺の子どもがそんなことしたらあかん」

今でもこうして文字にするの、しんどいわ…というような経験をたくさんしてきました。

その反動で、学校にいく事が嫌になり狂言誘拐事件(坊主めくり記事参照)まで起こしてしまいました。

学校に行かず、たどり着いたお寺の屋根の上は最高に気持ちいい空間でした。田舎の口コミはあっという間に広まりますから事件以降、ますます学校に行きづらくなりました。

心のなかでいろいろな葛藤を隠しながら入学した仏教系の高校でしたが、すぐに行くのが嫌になりました。

学校を休み、久しぶりにまた屋根の上に登りました。

さてどうしたものか…なんでこんなにしんどいことが続くんだ…と来る日も来る日も考え続けました。ここから飛び降りたらこんな辛い人生終えられるなと何度も何度も考えました。お墓もあるしちょうどええやん。と自分で自分を「いじる」ほどでした。しかし、そのたびに爺ちゃんや婆ちゃんやおかんや妹が悲しむ顔が浮かんできました。

結局部屋に戻り、高校をやめました。

お檀家さんとお話すると必ず「一年がどんどんはやくなっていきます」という言葉が出てきます。僕もそう思いますが、お年を召された方にとってはかなりのスピードのようです。

10歳の1年はこれまでの人生の1/10の時間。
20歳の1年はこれまでの人生の1/20の時間。

70歳の1年はこれまでの人生の1/70の時間。
80歳の1年はこれまでの人生の1/80の時間。

こう考えると、年を取れば取るほど1年間が相対的に早くなっていくのかもしれません。

確かに考えてみれば、暗黒時代を過ごした小学生時代の1年間は本当に長かったです。

「もしかしたらクラス替えで空気が変わるかも」という淡い期待もあり、ある意味、耐える・待つという受け身のスタンスで苦行のような生活していましたので余計にそう感じたのかもしれません。子供の頃は物事を考える視野も狭く、判断するための経験値も圧倒的に少ないです。

そんな時期に「いじめ」に耐えなければならない環境に置かれてしまうことはほんとうに辛いことだと思います。

いま、こうしてお坊さんになって久しぶりにお寺の屋根の上に登りました。

いつのまにか僕も1年が過ぎるのが早い方の人間になりました。苦しみでしかなかったお寺をいつまでも続く場所にしたいと思うようになりました。なんという変わり様だと自分のことながら苦笑いしてしまいます。

子供たちに、あなたの人生はこれからもっと広がっていくということを伝えていけるお坊さんでいたい。仏教は苦しみから逃れるための教えであるのだから。

君にあっという間の1年を経験させてあげる事ができなかったことが無念でなりません。君の死を悼み、ご遺族に謹んでお悔やみ申し上げます。合掌 南無阿弥陀佛

仏教で安心と楽しみを。

○連載:ITビジネスマンの寺業計画書

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松島靖朗

松島靖朗:彼岸寺

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