創業者が消えても会社は成長し続ける リクルートという「理想像」

創業者が消えても会社は成長し続ける リクルートという「理想像」

同時代の人々が想像もできなかったようなビジョンを掲げ、それを実現した起業家が、今の世の中で忘れ去られている。

リクルートの創業者・江副浩正である。

まだ学生の就職がほとんど「コネ」で決まっていた1950年代、近い将来かならず訪れる高度経済成長、爆発的な雇用の拡大に伴う「実力採用」の時代を予見し、企業と学生をマッチングさせるサービスで成功を収めた。ほとんどの会社に電卓すらなかった1968年には、今では現実のものとなった「知識産業社会」の到来を見通し、大規模な投資をしてコンピュータを導入。1985年にはニューヨーク、ロンドン、川崎にデータセンターを作り、それを専用回線で結ぶことで、現在でいうところの「クラウドコンピューティング」に近いサービスを始めた。

しかし、人々の記憶には、戦後最大の経済犯罪となった「リクルート事件」の主犯という汚名ばかりが残っている。

ノンフィクションとしては異例の5万部を突破した『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(大西康之著、東洋経済新報社刊)は、ダーティで胡散臭いというレッテルを張られた江副氏の真の姿、つまり天才起業家の先進性や行動力、戦略力に光を当てる。

5月21日に発売されたオーディオブック版の特典音源として収録された対談では、この本を企画・立案した加藤企画編集事務所の加藤晴之氏と、出版元である東洋経済新報社の編集者・桑原哲也氏が、本書の企画・制作過程で感じた江副浩正という人物のすごみについて語り合った。

■なぜ今「江副浩正」が求められているのか?

加藤氏によると、この本の企画は、著者の大西康之氏(元日本経済新聞編集委員)が、長年の記者人生で培っていたリクルート関係者の人脈と、その関係者を、本書の執筆のために改めてしらみつぶしに取材するという愚直な努力があってのものだったという。

「大西さんに、江副浩正の企画の話をもちかけたのですが、ふつうは 『え? なんで今ごろ江副を取り上げるの? そもそも犯罪者だし、もう終わっている人じゃん』という反応が返ってくるものだと思っていました。でも、大西さんは『面白いね』とノリノリ(笑)。じつは、2013年に江副さんが亡くなったとき、彼は日経新聞のハコモノ(新聞の連載記事)で、江副さんとは、いったいなにものであったのか、江副さんをよく知る人たちの証言をもとに書いている。その後もジャーナリストとして、おもにIT業界を取材するといろんなところに元リク(リクルート出身者)がいて、その人たちを取材をするなかで、“まだ語られていない江副像”があると思っていたのでしょう。原稿執筆にかかる前から、“江副浩正とは、インターネットのない時代に紙のGoogleを作った男だったのではないか”という仮説を立てて、その仮説を、江副さんを描く新たな切り口にしたのだと思いました」(加藤氏)

江副浩正という人物に光を当てることは、一つのチャレンジだったに違いない。加藤氏が「どうして今頃?」という反応を予想していたように、江副氏が表舞台を去ってから30年以上が経っている。有名ではあれ、すでに「過去の人」になっていた江副の評伝ノンフィクションの企画に、なぜ東洋経済新報社ではゴーサインがでたのか?

「最初、社内で企画を出したとき『今さらリクルート事件を検証する本を出しても、読まれないんじゃないの?』という意見がありました。ただ、この本はそういうものではなくて、これから若い方々が活躍していくうえで非常に参考になる“起業家としての江副浩正”に光を当てる本だと説得して、企画が通りました」(桑原氏)

「僕と同世代だと、江副さんにいい印象を持っている人はあまりいなくて、“ズルした人”とか“政治家にカネをばらまいて自分の事業を拡大することに熱心だった人”というイメージを持っている方が多い。リクルート事件の前から、江副さんって、大手広告代理店や主要メディア、とくに朝日や読売などの全国紙からすると得体の知れない不気味な存在でした。彼らは自分たちや、街の新聞販売店のドル箱だった求人情報や不動産広告をリクルートに奪われていたから、怨みを買っていたということもあるのではと思います。いまなお同調圧力が強い日本社会もまた、リクルートという得体のしれない異物に、気持ち悪さというか、免疫の過剰反応のサイトカインストームみたいに拒絶反応を示していた。だから、リクルート事件が報じられた時の世間の反応は『前から胡散臭いと思っていたけど、やっぱり悪い奴だったんだ』というものでした。

リクルート報道と東京地検特捜部の捜査がお互いを煽るように過熱すると、日本全国で、リクルートと江副浩正へのバッシングが燎原の火のように広がる。そして、江副さんは歴史から葬り去られた。今回、大西さんがすごいのは、まだ知られていなかった1985年当時の江副さんと社会人になったばかりのジェフ・ベゾスとの知られざるエピソードを発掘して、彼らふたりの物語からこの本を始めたところ。冒頭の部分を読んだ時に、江副さんの本当の姿が明らかになったという手ごたえがありました」(加藤氏)

■創業者が消えても事業とサービスは成長を続けるという「理想」

江副浩正には、これまで語られてこなかった一面がある。そして、その一面には今読まれるべき現代性がある。それが、両氏の一致した見解だ。

「ニューヨークとロンドン、川崎に作ったデータセンターを専用回線でつないで、今でいう“クラウドコンピューティング”に近いことを1980年代にやっていたのを知った時は、こんなにすごい日本人がいたんだと驚きました。当時、クラウドコンピューティングという言葉はありませんから、“コンピュータの時間貸し”という冴えない名前で呼ばれていたようですが」(桑原氏)

「まだインターネットがない時代でしたから、彼がやっていたことは誰も理解できなかったはずです。データセンターをネット回線でつないで何ができるのかという発想も知見も、当時の日本人にはありませんでした。だから、今考えるとすごいことをやっていたんですけど、まったくそういう風には見られていなかった」(加藤氏)

当時の日本人が想像もできなかったビジョンを持ち、それを実現した江副氏の先進性と行動力。一方で、科学的・合理的な経営術は、現在の日本が置かれた状況と対置することで際立つ。

「コロナの感染拡大を食い止めるために、とことん科学的に考えて対処しなければいけない状況です。しかし、先日の宝島社の全面広告ではないですが、この国はそれこそ竹槍で突っ込んでいるかのようです。この国自体、ファクトとロジックに基づく合理的な運営が大きな課題なのですが、企業の経営も科学的に行われるべきで、リクルート的な経営術はその一つのモデルです」(加藤氏)

「 “社員みんなが経営者の視点を持ちましょう”といろいろなところで言われていますが、掛け声だけでは社員がついてきませんし、“ブラック企業”のようになってしまいます。そうではなくて、社員が本当の意味でやる気になって働くようにさせる『仕組み』を科学的に作った経営手法は、もっと注目されてほしいと思います」(桑原氏)

江副氏の経営が正しかったことは、氏が一線を退いた後もリクルートが成長を続け、今や時価総額8兆円を超えるまでになっていること、そしてビジネス分野だけでなく、政治や教育などさまざまな領域で活躍するOB・OGを輩出していることが証明している。

「江副さんが作ったリクルート文化のすごいところは、何といっても彼自身が消えた後に会社が急成長したところです。創業者がいなくなっても自走していると言いますか、今のリクルートでは〈自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ〉という江副さんの理念がさらにパワーアップしている。彼はカリスマでもあったけど、今のカリスマ型経営者がみな事業の継承に苦心しているところを見ると、彼の会社経営の最大のポイントは、レッド(カリスマ型)でもアンバー(軍隊型)でもなく、30年前にティール(青緑色の)組織と呼ばれる、ひとりひとりの社員が決定権を持つ会社を作り上げたことではないでしょうか」(加藤氏)

「そうですね。先日この本を読んでくれた若い起業家の方のお話を聞く機会がありました。その方は、江副さん本人が忘れ去られていても、サービスや事業は世の中に認知されていて成長できているという点で、創業者のあり方として理想的なんじゃないかとおっしゃっていました。それができたのも、創業者が引っ張るのではなく、ひとりひとりの社員が決定権を持つ組織を作ったからなんですよね」(桑原氏)

「ノンフィクションというとテーマが暗いといいますか、人間の悲劇性を扱うことが多い。この本もリクルート事件という悲劇を扱ってはいるのですが、そうしたダークサイドよりも起業家としてどんなことをしてきたのかという、未来に開けた明るいところに焦点を当てて、読んだ方に元気を与えられる内容になっているのではないかと思います」(加藤氏)

『起業の天才!: 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』オーディオブック版は、「オーディオブック.jp」で配信中。

歴史の中に埋もれつつあった江副氏の歩みには、閉塞感に満ちた令和の日本だからこそ鮮明に感じ取れるすごみがある。起業を考えている人はもちろん、ビジネスパーソンも学生も、これからの日本を創るすべての人にとって得られるものは大きいはずだ。

(新刊JP編集部)

・『起業の天才!: 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』オーディオブック版(https://audiobook.jp/product/261754

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