おもちさん83歳の日々〜朝倉かすみ『にぎやかな落日』
私があと30年生き長らえることができれば、主人公のおもちさんと同年代になる。そのとき、おもちさんのような充実&安定した生活を送っていられるだろうか。あんまり自信ない。一方で、ここから何十年かのがんばりによっては(おもちさんほどではないにしても)そこそこまではいける可能性もあるのかもと思うと、精進せねばという気持ちでもある。世間では「終活」という概念が重要視されるようになってきているけれど、私の父は還暦を迎えたばかりでくも膜下出血によりほぼ即死に近いという状態だったし、母の方も晩年認知症を患ったため自分の最期に関する準備などはほぼ手つかずのまま亡くなってしまった。そういうわけで、両親をロールモデルとすることができない身としては、おもちさんの余生は理想の形に近いように思える。
おもちさんはそろそろ83歳になるところ。北海道でひとり暮らしをしている。夫の勇さんは特別養護老人ホームに入っており、息子は家族と近くに住んでいて、娘は独身で東京住まい。まだまだ元気だけれども、難しい話や自分の病気の名前などはなかなか頭に入ってこない。気分の波のようなものは若干あるようで、時に自分の思い通りに事が運ばなくてカッとしたり娘の率直な物言いにイラッとしたりするけれど、ほめ言葉に弱いので機嫌が直るのも早い。基本的には気のいい性質だから、友人も多い。しかしながら、意志の弱いところがあり、ケアマネージャーさんや看護師さんといった人たちに口を酸っぱくして注意されても甘いものがやめられない。ケアする側からすると、少々困った人と思われてそう。
つまるところ、現代の高齢化社会においておもちさん(要介護2)のような高齢者というのは、特に珍しくはない存在であるに違いない。物語の最初の頃は、勇さんがいないことをさびしがりながらも自宅で気ままな暮らしを満喫してもいたおもちさんだったが、だんだんと入院中の記述が増え、最終的には高齢者向けのマンションに入居するように。とはいえ、高齢者施設というものは入るのがたいへんだったりするので(待機人数が相当数のところもあるし、有料老人ホームとなるとそれこそ莫大な費用がかかったりする)、近所では高級施設と認識されているところにさほど待つことなく入居できたおもちさんはラッキーといえるだろう。
全編にわたってほとんど大きな事件もなく、ゆったりと物語は進んでいく(高齢者にとってはちょっとした変化も大事件であると考えれば、この限りではないが)。ひんぱんに回想が挟まるのがリアル。私の母も何の前フリもなしに何十年も前のことをつい昨日のように話し始めることがしょっちゅうだったのでたびたび混乱させられたけれども、「おかあさんの心の中ではこんな風に時間が流れているのか…」というのは新たな発見だった。
あと何十年かで自分もこんな風に衰えていくのかと思うと、正直なところ恐怖を感じなくもない。高齢者介護にあたっている家庭は疲弊しがちだし、この先さらに介護保険制度が若い世代に負担を与えていくのだとしたら申し訳ないとも思う。それでも本書から読者が学べることは多いという気もしていて、たとえば家族と良好な関係を築くことや、家族以外の周囲の人にも感じよく接すること。ひとりでやっていけるうちはできる限り自立することや、贅沢しなくても楽しめる趣味を見つけること。「ほんとはまち子だったんだけど、父が役所に届けるとき、『ま』と『も』を間違えちゃってサ」(「まともでないでしょ」というオチがつく)というナイスエピソードを自ら披露するなどの、人に好感を持たれる技術も盗みたいところだ。終盤ではとうとうコロナも登場し、友だちはもちろん家族とすら会えなくなってしょんぼりしてしまうのでは…と思いきや、とても素敵な手段でみんなとの交流を続けるおもちさんに感服つかまつりました。これはすぐにでも真似しようかな。
(松井ゆかり)
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