お針子少女の成長物語〜ビアンカ・ピッツォルノ『ミシンの見る夢』

お針子少女の成長物語〜ビアンカ・ピッツォルノ『ミシンの見る夢』

『ミシンの見る夢』は、イタリアの児童文学の第一人者であるビアンカ・ピッツォルノによる一般小説。コレラの流行の後、家族の中で主人公(名前は明らかにされない)とその祖母だけが生き残った。祖母が52歳、主人公は5歳のときのことだ。貧しかった祖母は、裁縫の仕事でまだ幼い孫との生活を支えていくことを決心する。祖母は仕事の場にできる限り主人公を同席させ、孫娘が早く仕事を覚えて裁縫の仕事を手伝えるようにと願っていた。さもなくば孤児院へ行くしかないのだ、と主人公に言い聞かせて。期待に応え、主人公は日々裁縫の腕を上げていく。祖母が亡くなってからも、彼女はずっとお針子の仕事を続けた。仕事を頼んでくる顧客たちにもそれぞれの人生があり、彼らが巻き起こすさまざまな事件は主人公に大きな影響を与える。本書は主人公の成長の記録でもある。

 主人公の幸運は、祖母が”手に職をつければ、自立を保つことができる”と考えたことと、孫娘に読み書きを覚えさせるよう尽力したこと。さらに、周囲の人々に恵まれたことだ。主人公の最大の理解者のひとりは、地元の名家アルトネージ家の一人娘・エステル。この美しく風変わりなお嬢様は、娘に甘い父親のおかげでおよそ当時の女子ではまず得られなかった乗馬や外国語の学習などの機会を与えられていた。さらに、身分の差などものともせず主人公にも気さくに接するエステルは、富裕な家の娘にしては奇跡的ともいえるフランクさも備えていた。

 現代の世を生きる私たちは、表向きには「人間は平等である」と言うだろう。しかし、実際にはそれが決して正確ではないことも知っている。まして、主人公たちの生きていた時代には、厳然とした階級や財力の格差があった。「私たちを隔てるとてつもなく大きな階層の距離を、あのころも、そして今も、私が意識していなかったわけではないし、自分の居場所をわきまえていなかったわけでもない」「私たちは同等の仲良しではなかった。学校時代からあれやこれやを互いに打ち明ける良家のお嬢さんたちのような関係ではなかった。そんなことは考えてみたこともない。彼女は上流の婦人で、私はお針子であることを忘れたことなどなかった」というエステルに対する主人公の思いは、読む者の胸を痛めさせる。貧富の差だけではない。男性と女性を隔てるものもまた大きかった。男性は男性でたいへんなのは重々承知である。しかし、多くの男性は不満のはけ口を女性に求めることも可能だった。しかし、女性たちはどこで憂さを晴らすことができただろうか。エステルにしても、ジャーナリストとしての地位も得ていた彼女の英語教師のミスでさえも、ほんとうの意味で男性の前に出ることは許されなかった。

 だからこそ、主人公や彼女の周りの人々が少しずつでも獲得していったものが輝いて見えるのだ。自らを大切にしない夫を遠ざけること、自分の意志でで好きな場所へ行くこと、階級を超えて愛を育むこと…。現代の私たちが手にしている自由は、過去の女性たちが少しずつ手に入れたものの延長線上にある。縫い、ささやかながら自分の趣味を持ち、心のままに人を愛した主人公もまた、ただ運命に流されることに抗ったひとりだ。男女格差にしろ収入格差にしろ、残念ながらまだまだ解消されてはいない。それでもぜひ本書を読むことで、女性だけでなく男性の読者にも、誰もが等しくひとりの人間であるということに改めて思いを馳せてもらえたらと思う。

 服飾に関する繊細で優美な描写は、本書のもうひとつの読みどころとなっている。美術館や博物館などでしっかりと丁寧に仕立てられた洋服を見たことがある人も多いと思うが、その美しさが文章で鮮やかに表現されているのだ。私の祖母は主人公の祖母のように裁縫で生計を立てていたこともあったし、手仕事が苦手だったその娘(私の母)ですら自分の子どもたち(弟と私)に服を縫ったりセーターを編んだりすることも珍しくなかった。かつてそんな時代があった。いまやなかなかお目にかかれなくなった、手回しミシンや足踏みミシンの造形にもうっとりさせられる。自分で動かすのはからきしだったけれど(家庭科の時間、必ず逆回転させてしまったものだった)、足踏みミシンのフォルムは素敵だったもの。

(松井ゆかり)

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