全銀河に反逆した種族「人類」、その最後の生き残りが主人公
ザック・ジョーダン『最終人類』(ハヤカワ文庫SF)
『最終人類』、原題はThe Last Human。人類最後の生き残りであるサーヤの物語だ。この宇宙には、おびただしい種族が、平凡な知性から超越的知性まで階層化され、物理的・情報的なネットワークによって秩序づけられ、それなりに共存していた。なかには、知能形式が特異な種族、邪悪な種族、剣呑な種族もいる。サーヤの育て親であるシェンヤは勇猛で冷徹な殺し屋ウィドウ類だが、盲目的と言ってよいほどの母性の持ち主でもある。
サーヤもウィドウ類の文化に染まって育ったが、身体的違いはどうにもならず、表向きには愚鈍なスパール類を名乗っている。まちがっても人類だと明かすことはできない。人類は過去に宇宙的大罪――たかが一種族の分際でネットワーク全体に反逆した――を犯し、殲滅された、忌むべき存在なのだ。
サーヤがいかにしてシェンヤの養女になったか。その経緯はサーヤ自身も覚えておらず、この物語に仕掛けられた謎のひとつになっている。それゆえ、サーヤにとって生物的な意味での自分の種族「人類」は両義的だ。隠しつづけなければならない負い目であり、ほんのりとロマンチックな憧れでもある。もしかすると、この広大な宇宙のどこかに、自分の同類がわずかでも生き残っているかもしれない。
サーヤはもともと知的好奇心が旺盛なのだが、自分の正体が露見することを恐れ、知的種族にとってのスタンダードであるインプラント手術(ネットワークと直結する)を受けられずにいた。それでも、シェンヤがその代替品として、外在的なネットワークユニットをプレゼントしてくれ、世界が大きく広がりはじめる。そんな矢先、レッドマーチャント類の賞金稼ぎフッドがあらわれ、サーヤを集合知性オブザーバー類のところへ案内すると言う。オブザーバー類は人類についての情報を握っているらしい。チャンスか? 罠か? かくしてサーヤの大冒険がはじまる。
さまざまな生態・文化をもつ種族が入り乱れ、ピンチ、闘い、駆け引き、奇妙な友情、裏切り、謎の解明、新しい謎……と目まぐるしく展開。空間的にも時間的にもスケールもどんどん上がっていく。雰囲気を知ってもらうために、本文から二箇所ほど引用しよう。
一階層上がると知性は十二倍になるのがおおまかな目安です。第二階層は第一階層より十二倍高い知性を持ちます。第三は第一の百四十四倍です。(略)惑星知性の多くが第五です。普通は数十億のメンバーで形成され、常時精神コミュニケーションをしています。
「あれは……八百星系で起きていることの一端だ。俺のパートナーにして人格未満のサーヤ、あれはな、六兆隻の宇宙船が殲滅戦をしている輝きだ」
うーん、エドモンド・ハミルトンの初期スペースオペラの現代版というか、A・E・ヴァン・ヴォクトの流れを汲む大風呂敷というか。もっとも、人間が大宇宙という盤上の駒にすぎないワイドスクリーンバロックとは違い、この作品ではサーヤが、宇宙における知性のありようについて、秩序と自由の相克について内省をする。つまり、少しばかり教養小説的なニュアンスもあるのだ。
とはいえ、結末では、畳みかけた大風呂敷をさらに広げて、しかも裏返すという大技が炸裂するのだけれど。あまりのことに開いた口がふさがらない。
(牧眞司)
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。