福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第3回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義)

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福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第3回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義)

 

福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第1回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義) | TABLO 

福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第2回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義) | TABLO 

 

世界で最悪とも言われる「福島第一原発事故」。ここでは「その時、何が起きたのか」をまだ未発表の事実をある1人の作業員「マサさん」の話を2回にわたって掲載してきた。東日本大震災で津波が福島第一原発を襲い、電源が停止している中、懸命の復旧作業をする「マサさん」。12日にも復旧を試みるが、放射線量がみるみるうちに上がっていくのに危険を感じ、懸命にその場所から避難する―ー。(文責・久田将義)

 

■12日朝、1号機消火系ポンプ復旧を試みる

【津波の第2波は、1~4号機の原子炉建屋やタービン建屋がある高さ10メートルの敷地に達し、それら建屋の内部に侵入した。1~4号機には8台の非常用ディーゼル発電機(DG)があり、点検中の1台を除く7台が地震直後に自動起動していたが、第2波から間もなくすべて機能を停止した。
このうち共用プール建屋1階にあった2台のDGは直接には津波の被害を受けなかったが、付属する地下の高圧電源盤が水没し、やはり使用不能になった。このようにして1~5号機は交流電源を全喪失し、いわば停電となった。それだけでなく、1、2、4号機では地下1階の直流電源盤も水没し、全電源喪失状態となった。3号機の直流電源盤は中地下階にあって被害を免れた。現地対策本部が設置された免震重要棟は高さ35メートルの高台にあり、無事だった。

彼は2012年2月29日のインタビューの際に次のように答えた。】

奥山:その当時(3月11日午後4時、5時当時)、たとえば非常用ディーゼル発電機(DG)がダメだということは分かってたんですか?

マサ:いや、情報ないです。全然ないです。

奥山:そういうことはどのぐらいから分かってくるものなんですか。

マサ:それは次の日の12日の朝になって、ぼくらが東電から指示を受けたのは、「とりあえず消火系のポンプを回したい」と。そのために、――でも電源いかれてるんで――それはバッテリー持ってるんで、バッテリーを生かしたい、と。1回水に浸かってるバッテリーを。だからバッテリーをつないでくれないかっていう仕事があって。その打ち合わせをしてるときに「DGがダメになった」。だからもう水がない。水を動かすには消火ポンプ系しかない、今は。でも消火ポンプ系も電源がないんで。そうするとバッテリー持ってるから、そのバッテリーでいきたい。それを生かしてほしいっていう話があって、知りましたね、そのときに。「ああ、DGダメなんだ」って。

奥山:1号機の話ですね?

マサ:それは1号機。

奥山:それは12日の朝?

マサ:12日の朝に指示を受けて、1号機の消火ポンプのバッテリーを復旧しにいった。

奥山:地絡してたんですよねぇ?

マサ:1回水に浸かってるんで。使えない状況だったんです。

奥山:前の日(3月11日)の夕方とか、夜の早い時間帯には回ってたという?

マサ:回ったっていう噂はあるんですけどね、よくわからないです。バッテリー駆動でエンジンキー回したら回ったっていう話もあるんですけど。そこらへんはあまり、情報が。

奥山:東電の出した報告書を見ると、1号機のディーゼル消火ポンプは回ってたけど、夜中に見ると止まってた、という話になっている。

 

【ディーゼル駆動消火ポンプ(Diesel-driven Fire Pump、D/D FP)は、施設内で発生した火災を消すため、濾過(ろか)水タンクの水を勢いよく噴出させられるようエンジンで水圧を上げるのを目的に、1号機ではタービン建屋地下階の消火系ポンプ室に備え付けられていた。
過酷事故に備えるアクシデントマネジメントでは、火災の消火だけではなく、原子炉内への代替注水にも使用できる、と計画されていた。3月11日午後5時半、電動ポンプは津波のためか使用不能だったが、1号機のディーゼル駆動消火ポンプについては、運転員が故障復帰操作をしたところ、自動起動。少なくともこの時点では使用可能だった。中央制御室ではこのポンプを用いて原子炉に注水しようと考え、ポンプにつながる配管のバルブを手動であけて、午後8時50分にかけて注水ラインを構成した。

ただし、当時、原子炉内の圧力は6.9メガパスカルで、消火ポンプで注水するには炉圧が高すぎる状況だった。しばらく待機状態とされた。日付が変わって12日午前1時48分、ディーゼル駆動消火ポンプが燃料切れで停止しているのが確認された。このため、タンクに燃料を補給し、午前2時56分、再び起動させようとしたが、起動しなかった。運転員はこれに並行して、免震重要棟にある発電所対策本部の復旧班にバッテリー交換を依頼した。】

マサ:回ってたんだけど、再起動ができなかったっていう話だったのかな、とにかく回ってたんだけどダメになったっていう話があって。

奥山:実際に現場に、タービン建屋の地下でご覧になったわけですよね、12日の朝に。

マサ:そうです、行ったんです。

奥山:それはどんな様子ですか?

マサ:そのときはぼくらは構内は構内専用のPHSで連絡取り合ってるんですけど、PHSの基地局も壊れちゃったんで。12日の朝にはまだ津波警報が出てるし、余震もまだ続いてる状況なんで、そこの連絡手段がない、と。タービン建屋に入っていっちゃうと、連絡が取れなくなっちゃうっていうことで、じゃあどうするんだ、と。じゃぁ、階段ごとに人を置いて、外まで。津波警報とかが来たら、声で知らせようっていう話になってて。

【福島県では、2011年3月11日午後2時49分、気象庁から大津波警報が出され、津波の予想高さは当初、3メートルとされたが、午後3時14分に6メートル、午後3時半に10メートル以上と引き上げられた。それが翌12日午後1時50分まで維持された。「大津波」から「津波」へと警報が切り替えられたのは12日午後8時20分だった。つまり、彼が1号機タービン建屋地下に入ったときはまだ大津波警報が発令されたままの時間帯だった。】

マサ:で、東電さんが2~3人ついていって、ぼくは実際つなぐほうをやってたんですけど。そしたらまさに余震が来て、「危ねえ危ねえ!」って話が伝達してきて。だから12日の朝にちゃんとできてない状況で、中途半端な状況で上がっちゃったんです。

奥山:「上がる」っていうのは、重要免震棟に戻る、ということですね?

マサ:そうです。「今、余震が来たし、津波警報が出てるから一回戻って」っていう話で。だから4人かな、そのとき。うちの人間がふたりと、東電さんが3人かな? たしか5人だったと思うんだけど。で、つないでいる僕ら、うちの人間が2人。で、1、2、3と、こういたような。で、伝達してきて、「いったん上がれ」って言われて、みんなで上がってって、ちょっと高台のところで様子を見てて。そのときにぼくは線量計が気になって、今ここどうなんだろうって思って。で、見たときに下ひと桁がすごい勢いで上がってたんですよ、デジタルが。

奥山:見てるあいだに?

マサ:見てるあいだに。ブワーッて上がってって。7、8、9、10みたいに上がってって。「うわ、ダメだ! ここにいちゃダメだ!」。津波の様子見てる場合じゃなくて、「車に乗って帰ろう!」って言って、すぐそのまま免震棟に。

奥山:上がってたのは1号機の建屋の……。

マサ:1号機の建屋から少し坂を上った、海が見えるようなところにすこし上って。あそこの上にちょっと上って、そこで見てたんですけど。そのときたまたま気になったんで、それ(線量計)を見て気づいたんで、すぐ。

奥山:12日の朝、日が昇った時間帯?

マサ:あれは、日が昇ってましたね。

奥山:その頃は、1号機、線量が高くて、建屋の中に入れるか入れないかっていう状況のころですよね。

マサ:だけど、そういう情報はないんですよ。その当時って、11日に地震が来て、その次の日の話ですから、たとえば放射線管理の人間がいるとか、そういう状況では全然ないんで。

奥山:それは一応マスク着けて。

マサ:一応マスク着けて。だからそこの場面で自分たちが、いつもであればどんなときでも、新しい仕事なりなんなりするときには、その状況、行くところの場所がどんな線量があるとか、どんな状況かっていうのは必ず放管員が最初に行って、事前サーベイというものをやって、情報を得て、じゃ、それだけの線量があるんだったらどんな作業の方法があるかっていうことをするんですけど、そこはそういうことやってる余裕が全然ないんで、とりあえずアラームだけ持って、とりあえず行って。(次回に続く)

〈インタビュー@奥山俊宏(朝日新聞編集委員) 文責@久田将義(TABLO編集長)〉


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