『千日の瑠璃』487日目——私は相槌だ。(丸山健二小説連載)
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私は相槌だ。
優柔な態度がすっかり板についている世一の父が、相手如何、話の内容如何にかかわらず、ともかく打つ相槌だ。部下をくそみそにやっつけたがる上司にも、屁理屈が好きで嵩高にものを言う町長にも、私はいちいち調子を合せる。また、居合せた最長の者が出す、郷土の習わしには従うべきだという意見にも、ついつい合せてしまう。
隣り町の料亭に役場の担当職員を招いて散財する出入りの業者の大ぼらにも、国政を司る者が自慢げに吹聴する裏話にも、尺寸の地も譲りたがらない農民の大げさな泣き言にも、戦勝国によって強いられた平和憲法を巡っての古臭い紙上での論戦にも、現人神は今も尚厳存すると世に訴える者の声にも、依然として残っている排外思想にも、叩頭して謝る部下の見え透いた弁解にも、私は調子を合せる。
そして私は、彼の妻の、今では生きている証しとさえなっている、とりとめのない愚痴や、長女が小説の恋愛と現実の恋愛との板挟みに遭って苦し紛れにぶちまける、わけのわからない不平不満ゃ、入院加療を要さなくても救い難い病人であることに変りはない長男のこの世へ向けての叫びや、彼が大切に飼っているオオルリの一心不乱の賢しいさえずりにも、合せる。だが、結局世一の父は誰の言い分もまともに聞き入れない。命じられた通りに実行したとしても、聞き入れたというわけではない。彼は自身の言葉すら信じていない。
(1・30・火)
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