陰に隠れた幻想小説の水脈の発見

陰に隠れた幻想小説の水脈の発見

橋本勝雄編『19世紀イタリア怪奇幻想短篇集』(光文社古典新訳文庫)

 イタリアの幻想小説と聞いてまず思いうかぶのは、イタロ・カルヴィーノ、ディーノ・ブッツァーティ、トンマーゾ・ランドルフィなど二十世紀の作家たち、あるいはずっと時代を遡った『神曲』のダンテである。そのあいだがスッポリ抜けおちている。これは日本への翻訳紹介のされかたによるものかと思いきや、本国イタリアでも事情はそれほと変わらないらしい。本書の「解説」で、橋本勝雄さんは「十九世紀イタリアの幻想小説は、二重の意味で陰に隠れた存在」と指摘する。二重の意味は、(1)十九世紀イタリアには幻想小説のビッグネームが出なかった、(2)幻想小説が文壇・文学史的に等閑視されてきた――ということだ。

 だが、その一方、このアンソロジーを編む過程で「当初考えていたより数多くの作品と作家が候補に挙がってきた」ともいう。マイナーながら、幻想小説の水脈はしっかりとつづいていたのである。

 本書には九篇が収録。大きく三テーマごとに三つの作品が選ばれている。

 第一のテーマは「死者の帰還」。

 イジーノ・ウーゴ・タルケッティ「木苺のなかの魂」では、木苺を媒介として、死者の意識が主人公に入りこむ。その瞬間、世界が変わって見える感覚がよく描けている。

 ヴィットリオ・ピーカ「ファ・ゴア・ニの幽霊」は、自分の幸福のために見ず知らずの人物を犠牲にした男が、じわじわと報復を受ける。因果応報の展開はひとつの常套だが、主人公がイタリアの青年、犠牲になるのが京都に暮らす日本人で、その遠隔が魔術の操作で短絡される点と、その当時ならではの誤解を含めた日本趣味が、独特の風合いを醸しだしている。

 レミージョ・ゼーナ「死後の告解」は、題名どおりの物語。それを目撃した神父の視点で綴られ、全体に靄がかかったような夢想の雰囲気が漂う。

 第二のテーマは「心理的幻想」。

 アッリーゴ・ボイト「黒のビショップ」は、黒人の差し手と白人の差し手がほんの余興ではじめたチェスが、世界の分断を象徴する死闘へ傾斜していく。むせかえるような情念と妄執の応酬が繰り広げられ、鬼気迫る一篇。

 カルロ・ドッスィ「魔術師」は、死の恐怖に取り憑かれた男の顛末を描いた掌篇。

 カミッロ・ボイト「クリスマスの夜」は、クリスマスの夜に寂しく町を彷徨する男の手稿。寂しい境涯と懐かしい回想が、しだいに狂気の現実と混淆し、戦慄の結末へとなだれこむ。

 第三のテーマは「奇譚」。

 ルイージ・カプアーナ「夢遊病の一症例」は、睡眠時に千里眼で殺人事件現場を目撃した警察署長の物語。ただし、目覚めたときの彼は自分が見たことを覚えておらず、夢遊病のように書きつけた報告書で、事件のあらましを知る。そして、報告書に導かれるようにして事件現場へ向かい、捜査を主導するのだ。できごとの経緯だけをたとれば奇妙なミステリだが、署長自身の主観を軸に考えれば奇妙きわまりない心理小説である。

 イッポリト・ニエーヴォ「未来世紀に関する哲学的物語 西暦二二二二年、世界の終末前夜まで」は、未来の観点から歴史を振りかえったSF。いっけん俯瞰的に綴られているものの、未来には未来なりの偏った価値観があり、それが結末で相対化される。

 ヴィットリオ・インブリアーニ「三匹のカタツムリ」は、富めるあまり猜疑心が強くなった王と、その豪華な庭の管理を任された正直者をめぐる寓話。ファンタスティックな要素とユーモアがちりばめられた陽気な作品だが、カトリック的規範に対する諧謔が鋭い。

 二十一世紀の日本で、このようなアンソロジーが文庫本で読めるのはありがたい。各国の文学を研究している専門家の手で、いままで陰に隠れていた怪奇幻想文学の発掘がつづくことを望んでやまない。

(牧眞司)

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