体罰考(14) イジメは学校の責任ではない(中部大学教授 武田邦彦)

体罰考(14) イジメは学校の責任ではない(中部大学教授 武田邦彦)

今回は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。

体罰考(14) イジメは学校の責任ではない(中部大学教授 武田邦彦)

(少し長い旅になっていますが、まだ整理の途中です。最終的に体罰の是非は慎重に結論を出したいと思います。二度と「ゆとりの教育」の失敗のように感覚で決めると子どもに大きな損害を与えるからです。)

イジメは学校の責任と言われる。でもなぜ学校の責任なのだろうか?

ある男子生徒がイジメに遭った。休み時間に殴られたりするので耐えられなくなり、親に訴えて、親が先生に言いに行った。先生はイジメる生徒を呼んで注意をした。その結果、イジメはさらに酷くなった。ごく普通の成り行きだ。

もともとイジメをする子どもだから、かなり悪いのは決まっている。その生徒を呼んで「イジメてはいけない」といって、その生徒がイジメを止めるなら、もともとイジメなどしない。

それでは先生はどうすれば良いのだろうか? 常識的には注意をしてイジメが無くならなければ、保護者を呼ぶ。保護者を呼んでも口で言うだけでは、イジメはなくならない。この状態は「いじめられる子=正しい」を守る事ができず、「いじめる子=悪い」を罰することができないところにある。

ところが、社会(マスコミだけかも知れないが)は「イジメが起こるのは学校が悪い」という。もしイジメを無くすなら、修身の時間をおいて、徹底的に道徳の教育をし、礼儀を守らない子どもは体罰を伴なう教育をしなければ「悪い子」を「よい子」にすることは不可能である。

イジメが起こって学校が悪いのは、1)隠すから、2)子供のことを真剣に考える先生が少ないから、による。いじめ自体は子供が悪いに決まっているし、そのような子供の責任は「保護者」にある。

「子供は力が弱い。誰にも相談できない」ということが言われるが、だから「保護者」がいて、保護者と本人がセットになって一人の大人なのだ。だから、本人が保護者に相談できないのなら、保護者の問題である。もし保護者が保護者の責任を果たせないなら、保護者をやめさせて第三者に変わらなければならない。

私は現在の教育委員会、学校、先生にさまざまな問題があることは知っている。でも、「問題があるなら、その問題を改善する」のであって、「あいつはいつも信号を無視するから、窃盗で逮捕する」という考えは適当ではない。

学校に他の悪いこと(隠蔽体質、勲章重視、上意下達、授業が不真面目、行き過ぎた体罰など)があるからといって「いじめは学校が悪い」としても改善はできない。私たちの目的はあくまで子供たちが良い教育を受けることであり、学校を故なく批判することではないから。

執筆: この記事は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年02月21日時点のものです。

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