「いーっ」となるミステリー『マイ・シスター、シリアルキラー』
いーっとなる小説。
言いたいことがあるけど言えない、誰にも伝えられない、そもそも私の話など聞いてくれる人がいない。
主人公のそういう気持ちが迫ってきて、いーっとなるのである。もどかしくて言葉にならない音声が口から漏れてきてしまう、そんな体験を誰もがしたことがあるだろう。
オインカン・ブレイスウェイト『マイ・シスター、シリアルキラー』は、そういう小説だ。ブレイスウェイトはナイジェリア最大の都市ラゴス出身の作家で、ロンドンで教育を受け、祖国とイギリスを往復しながら文芸活動をしている。本書は小説家としてデビュー作で、2019年度のロサンゼルス・タイムズ文学賞ミステリー部門、アンソニー賞優秀新人賞、アマゾン・パブリッッシング・リーダーズ賞新人部門、2020年度の全英図書賞犯罪・スリラー部門を獲得、その他にもブッカー賞など複数の候補にもなっている。
看護師として働く女性・コレデが、妹のアヨオラに助けを求められて駆けつける場面から物語は始まる。何の助けか。アヨオラはフェミという交際相手の男を刺し殺してしまったのだ。父親の形見であるナイフを使って。漂白剤を振りまいて血の痕跡を消し、シーツを何枚も使ってミイラのように死体をぐるぐる巻きにし、運び出す。コレデの処理があまりに手慣れているのが不思議に感じられるのだが、後に理由が判明する。アヨオラが交際相手を殺すのはこれで三度目なのだ。つまり犯罪行為の隠蔽に手を貸すのもこれが三回目。慣れようともいうものである。『マイ・シスター、シリアルキラー』という題名の意味がそこで判明する。
コレデは自分の容姿に自信がないのだが、アヨオラは対照的に輝くような美貌の持ち主だ。妹が生まれたとき、コレデはお母さんが買ってくれた人形だと勘違いしたくらい。姉の悩みは、美しき妹が自分の立場も考えず、感情の赴くままに行動してしまうことである。姉妹はフェミが失踪したように偽装するのだが、恋人がいなくなって心配でたまらないはずの妹はさっそく「映え」そうな料理写真をSNSに投稿しようとする。コレデに咎められると、何がいけないの、と不満げだ。さすがにいつまでも凶事の発生を隠しておくわけにもいかず、警察が捜査を始める。目撃者もいたようで、フェミの部屋から出てきた二人の女を探しているというのだ。姉妹が部屋にいた可能性を問いただされたらどうしようかと思い悩んでいると、アヨオラがこんなことを言いだす。
「わたしに隠れてお姉ちゃんがあいつとやってた、って言うのよ(中略)わたしが部屋に入って行ったら二人にばったり、その場であいつを振って、お姉ちゃんはわたしについて外に出た。でもわたしは人を悪く言うのがいやだから黙ってた。たとえその人が……」
「信じられない」
「ね、お姉ちゃんの印象が悪くなっちゃうけど、この際、しょうがないよね」
これはもう、いーっとならざるをえないではないか。
胸の裡を誰にも打ち明けられないコレデには、植物状態で昏睡を続ける患者を相手に愚痴をこぼすくらいのことしかできない。さらに辛いことには、恋心を抱いている病院の勤務医・タデとアヨオラが会ってしまい、二人が急接近してしまうのである。どんどん妹に引き寄せられていくタデを、コレデは止めることはできない。だいたい何と言えばいいのか。うちの妹には近寄ってくる男を殺してしまう癖があるの、とでも。
堅物の姉と奔放な妹、何も知らない男という三角関係の図式はスクリューボール・コメディのものだ。そこに殺人という取り返しのつかない事態を絡めたのが本書の魅力で、どういう形で作者は決着をつけるつもりなのか、という興味でどんどん惹きつけられる。現在進行形の物語は少々物騒なところのある喜劇だ。少し距離を置いて眺めてみると、姉妹の生い立ちや、彼女たちが置かれている状況からはさまざまな問題が見えてもくる。どんな場合にも特別扱いされるアヨオラは、ルッキズムが横行する現代社会を象徴するようなキャラクターだ。逆説的な形で社会から疎外された存在ともいえる。どんなに裏切られても妹を庇護することをやめない姉・コレデは共依存の鎖で縛られた人物であり、家族というものの意味を考えさせられる。分量的には長めの中篇程度の作品だが、さまざまな読み方のできる小説なのである。
でもやっぱり、いちばんの楽しみはやはり、いーっとなる感覚を味わうことかな。ナイジェリア・ミステリーということで日本の読者にとってはなじみの薄い舞台ではあるが、そこに描かれる感覚は身に覚えのあるものばかりだ。コレデの気持ちになっていーっとなりながらページをめくってみることをお薦めする。
(杉江松恋)
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