「盲亀の浮木」、それはめったに出会えないことの壮大すぎる例え
「盲亀の浮木」とは、めったに出会えないことの例えとなる言葉です。
この言葉のもとは、仏教の経典の中にでてきますが、そのたとえはなかなか壮大なものになっています。
そこでここでは、「盲亀の浮木」が持つ意味はもちろん、なぜこのような表現が使われるようになったのかを解説します。
「盲亀の浮木」とは
「盲亀の浮木」とは略して「盲亀浮木(もうきふぼく)」と言われることもあります。
まずは「盲亀の浮木」がどういう意味なのかを見ていきましょう!
「盲亀の浮木」の意味
「盲亀の浮木」とは、出会うことが非常に難しいことの例えです。
物事はもちろん人物にしても、めったにないことを例える際に用います。
特に、幸運に巡り合うことを指す例えとして使われます。
盲亀の浮木の類義語は「千載一遇」
「盲亀の浮木」の類義語は「千載一遇」です。
「千載一遇」とは、めったに訪れそうもない良い機会のことです。
この言葉は二度と来ないかもしれないほど恵まれた状態を指しています。
「載」は年のことを表し、「遇」は思いがけず出くわすことを表しているのだとか。
つまり、「千載一遇」とは千年に一度偶然に出会えるかどうかという奇跡的な確率の機会のことを表しているのです。
絶体絶命のピンチに出くわすというよりは、絶好のチャンスに巡り合うことを指す言葉となっています。
「盲亀の浮木」の由来
この「盲亀の浮木」という言葉はもともと仏教用語です。
雑阿含経や涅槃経に登場するこの言葉は、壮大な例えとして用いられています。
たとえで生まれた「盲亀の浮木」
「盲亀の浮木」は仏教の経典の中で、例え話として出てくる言葉です。
「盲亀」とは盲目の亀のことを指しており、「浮木」は水に浮かんで漂う木や流木のことを指しています。
盲目の亀と浮木だけでは、何の例えかすぐには分かりませんね。
百年に一度だけ海面に出てくる盲目の亀と、広大な海に一本だけ漂っている中ほどに穴の開いた木があります。
盲目の亀が百年の一度の浮上の際、この木の穴にすっぽり頭が入ることがあるでしょうか。
これは非常に稀なことで、無いと言ってしまってもよいほどの確率です。
そのため、この話から非常に出会う事が稀な事をあらわす例えとして用いられるようになったとされます。
また、法華経の中では、『一眼之亀 値浮木孔』とあります。
前後の文も合わせると『仏難得値 如優曇波羅華 又如一眼之亀 値浮木孔 而我等宿福深厚 生値仏法』となります。
この文は、「仏の教えに出会う事は非常に稀有なことである。それは3000年に一度花開くとされる優曇波羅華(うどんばらけ)の花が咲いているのを見るように。もしくは、海底にすむ片目の亀が、100年の一度海面に上がる際、海を漂う木に開いた穴の中に偶然にも入ってしまうように。」と訳することができます。
そう、盲目ではなく一眼という違いはありますが、「盲亀の浮木」とはもともと、仏教の教えに出会えたことは非常に幸運なことである、という事を例えた言葉なのです。
めったにないことを例えていますが、例えが壮大になりすぎて逆にわかりにくいですね!
他にも仏教用語由来の壮大すぎるたとえの言葉があった
他にも仏教には例えが壮大すぎて逆にわかりにくくなっている言葉があります。
五劫の擦り切れ
寿限無という落語に出てくる「寿限無寿限無、五劫の擦り切れ、貝砂利水魚」という長い名前。
この一説の「五劫の擦り切れ」は仏教に関係する言葉です。
ちなみに、寿限無寿限無というのは、名前が決められないので人から聞いた縁起の良い言葉を全て並べたもなんだとか。
その中に出てくる「五劫の擦り切れ」とは非常に長合い時間をあらわした言葉になります。
五劫とは一劫の5倍という意味です。
では、その一劫とはどのくらいの時間なのでしょうか。
一劫という時間は、100年に一度下界に降りてきた天女が巨大な岩(一説には一辺が2000km相当)を衣で撫でます。
これを繰り返すことで、岩が擦り切れ、完全になくなるのに要した時間、、、よりも更に長い時間とされます。
それが5倍なので、五劫とは果てしない時間、つまり「永遠」を意味する言葉なのです。
曇華一現
「曇華一現」とは、稀にしかない珍しい機会の例えです。
「曇華」は優曇華という花のことであり、これは3000年に一度だけ仏が現れるときに咲くとされている花です。
仏教では数年数十年という単位ではなく、数100年数1000年という果てしない壮大な背景で語られる例え話がとても多くなっています。
法華経の中では、「盲亀の浮木」とセットになって優曇華の花が出てきましたね。
まとめ
「盲亀の浮木」とはもともと仏教が語源となっている言葉で、なかなか出会うことのできないことを例える際に用いられます。
盲目の亀が海に浮かぶ木の穴に入るほど稀な確率、それを表しているのが「盲亀の浮木」という言葉です。
仏教においては、仏の教えに出会えることは容易ではなく、非常に幸運な事という例えとして出てきます。
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