写真家が対峙した狩猟のリアル、現役猟師同行ルポ
「猟師と山に入っていちばんの衝撃は、”殺す”という行為を見たことだった。尖った槍のひと突きで猪の心臓を刺す行為、鉄パイプを思いきり振って猪の眉間を叩く姿、驚く速さで銃の安全装置を外し引き金を引いた時の爆音。すべて獣が苦しまないよう考慮された手段ではあるけれど、当然ながら圧倒的な暴力だった」(本書より)
そんな書き出しで始まる、フォトグラファー・繁延あづささんの新著『山と獣と肉と皮』。繁延さんはほかにも、主なライフワークとする出産や家族を撮影した『うまれるものがたり』や、潜伏キリシタン史跡を追った『長崎と天草の教会を旅して ~教会のある集落とキリシタン史跡~』などの著書があります。
2011年の東日本大震災を契機に、東京から長崎県長崎市へ一家で移住。そこで出会ったのが、罠猟の名人「猟師のおじさん」でした。おじさんは、農作物に被害をもたらす害獣駆除の担い手。時には、猪の牙に裂かれて80針縫った、などの武勇伝を聞かせてくれることも。
そんなおじさんから獣肉を分けてもらうことになった繁延さん。それは、普段私たちがスーパーの精肉売り場で目にするような、パッケージされた肉とは一線を画した肉でした。3児の母親でもある繁延さんは、自宅で滋味あふれる野生肉を調理する中で、おじさんがくれる肉がどこから来たものなのか、ルーツに興味をひかれるようになります。
そして、2016年の冬からおじさんの猟に同行していくなかで「今の感覚を、写真のように切り取っておけないだろうか」(本書より)という心情に至ります。
「写真を撮る動機とまったく同じだ。グッと近づいてピントを合わせるように、ぼやけて曖昧なところは曖昧なまま、写真のように、いま感じていることを残しておきたい」(本書より)
「生き物を殺すこと。その肉を食べておいしいと感じること。どちらも人間の当然のありようなのだということを、おじさんの後ろを歩きながらしみじみ思う」(本書より)
また、本書では、執筆中に起きた新型コロナウイルス感染症、メディアでも話題になった「コロナ差別」についても以下のように言及。
「新型コロナウイルスは、現代の穢れなのだろうか。感染者が発するSNSで『仕事再開に支障がないか不安』『子どもが学校でいじめられたらどうしよう』といった言葉を目にすると、ウイルス自体だけでなく、過去にウイルスと関わったという縁(えにし)まで強く忌避されていて、穢れと差別の関係とそっくりだなと思わずにいられない」(本書より)
カメラマンである繁延さんが、自らの嗅覚を頼りに、現役猟師とともに山に分け入り、狩猟から解体、さらに毛皮を皮革に加工する現場までを訪ね歩いた本書。生き物を”殺す”瞬間、その歴史的経緯から”穢れ”と忌まれていた皮革業のこと、”生と死と再生”をめぐるリアルを捉えた、まさにフィールドワークの記録と言えるでしょう。コロナ禍で先行き不透明な時代にあって、”共食”が難しくなった今、じっくり味わいたい一冊です。
(文・山口幸映)
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。