『千日の瑠璃』430日目——私は灯火だ。(丸山健二小説連載)
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私は灯火だ。
行き場を失った魂の波に弄ばれて漫々たるうたかた湖を彷徨う朽ちかけたボー卜、その舳先に掲げられた灯火だ。油はまだたっぷりとあり、私を脅かすほどの風も吹いておらず、私を胡乱に思って足をとめる生者の姿もない。私は、この先当分のあいだじたばたして、あたふたして生きなくてはならぬ人々の、混沌たる、あるいは見え過ぎる前途を照らし、かれらのますます煩雑になってゆく鬱陶しい現世を満たす悲劇を見せつけ、無意味に混在する生と死の典型的な例を幾つか示して、今夜の乗船客である精霊たちを慰める。死者の未練をすっぱりと断ち切り、物質としての存続を諦めさせる、それが私の務めだ。
私は、新顔の死者たちにうたかた湖の北の岸に群生している短命な植物の骸を見せ、森や林の奥で無惨な死を遂げようとしている禽獣を見せてやる。更には、汚泥にまみれて浅瀬に横たわる、人間の形に似た朽ち木を見せ、吐瀉がどうにもおさまらない、別荘地の孤独な住人を見せ、廂間に見え隠れする種々雑多な哀しみを見せ、落葉の下に巧みに隠された、憎んでも飽き足らぬ犯跡を見せる。
そして最後に私は、いつも通り、湖岸に沿った小道を、闇に小突かれながらとぼとぼと行く少年世一を照らし出す。それが私の仕事の仕上げになるはずだった。だが今夜の世一は、こっちを向いてにっと笑う。すると乗船客のあいだに動揺が生じ、私も激しく揺れながら消えてゆく。
(12・4・月)
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