『千日の瑠璃』426日目——私は視力だ。(丸山健二小説連載)

 

私は視力だ。

見えない物を見、見なくてもいい物まで見てしまう、ただ生きるだけでも大儀な少年世一の、視力だ。世一が憂わしい表情の顔を丘の家の窓から突き出すとき、私はしばしば、はるか彼方をたどたどしい足どりで独り行く世一自身の哀れ深い姿を捉える。現に今もまた、寒風と侮蔑が吹き抜ける谷間の隘路をボウフラのような動きで進む世一の誇らかな後ろ姿を、しっかりとつかまえている。

その世一はたぶん、これから寂しい桟道を通って、人知の及ぶところではない、高過な精神に満ち満ちた領域へと向うのだろう。木こりや炭焼きや猟師にも劣らぬその力強い歩調には、眼を見張るものがある。己れの高度を確かめようとしてこっちを振り返るときの世一の敏活な動作や昂然たる面持ちはどうだ。私がそこに見るのは、これまでに一度たりとも病みついたことがない、もしくは遂に痼疾が平癒した、日々恙なく生きて筍のようなめざましい成長をつづける少年にほかならない。

その世一がくぐり抜けてきた安楽の十数年は、彼の肉体と同様、一個所も破損していない。あと十年も経てば、有望な水脈を百発百中で掘りあてられる、あるいは、炎々たる烈火を見事に消しとめられる、そんな青年になれるはずの世一が、間違いなくそこにいる。しかし、丘の家で鳥籠に抱きついている世一が見ているのは、坦々たる大道を行く盲目の少女と、彼女と運命を共にする覚倍の白い犬。
(11・30・木)

丸山健二×ガジェット通信

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