「票を投じる」とはどういうことか(東京大学教授 宇野重規)

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質問 「票を投じるとは、何を意味するのですか」
衆院選の投票日が明日に迫りました。

「あなたの一票が日本の未来を決める」というセリフをよく耳にしますが、はたして一票を投じることにいかなる意味があるのでしょうか。そもそも、票を入れるとはどういうことなのでしょうか。あまりに基本的な問いですが、よく考えてみると、実はなかなか複雑な問題が含まれています。

この問題を考えるにあたって、思い起こされるのは橋下徹大阪市長の次の言葉です。「有権者が選んだ人間に決定権を与える。それが選挙だと思います」「選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」(朝日新聞2012年2月12日)。

選挙は白紙委任?

「選挙は、ある種の白紙委任」であるという言葉にはインパクトがあります。有権者が一度ある政治家を選んだならば、その政治家が何をしたとしても認めるしかない。金額を空欄のまま小切手を渡したのと同じで、そこにいかなる数字を書き込まれても文句はいえないというわけです。

もちろん、「大きな方向性」は示されているわけですから、まったくの白紙委任というわけではないでしょう。とはいえ、示された「方向性」がきわめて抽象的なものであるとすれば、それがどれだけ政治家の行動を制限するか疑問が残ります。

読売新聞の渡辺恒雄会長は、この発言に対して、「私が想起するのは、アドルフ・ヒトラーである」と述べました(『文藝春秋』2012年4月号)。首相になったヒトラーが全権委任法を成立させ、そこからファシズムへの道へ進んだという歴史を踏まえての発言です。

「決定できる民主主義」とは、「選挙で選ばれた政治家への白紙委任」なのだという言葉には、それほどのインパクトがあるのです。

政治は「悪さ加減」の選択

とはいえ、ここでこの発言をとりあげたのは、それをあらためて問題視するためではありません(問題視すべきだと思いますが)。

ここで考えてみたいのは、一票を入れるという行為は、はたしてその政治家を全面的に認めることを意味するのだろうか、ということなのです。

あなたはどのようにして一票を投じるでしょうか。「まあ、この人(党)がすごくいいというわけではないけど、相対的にはましと思って票を入れた」という場合もあるかもしれません。「今回だけはこの人に入れてみよう」というお試しのケースもあるでしょう。

しばしば「政治とはレッサー・イーブル(lesser evil)を選ぶことだ」といいます。政治において完璧な善はない以上、いずれの政治家であれ、政策であれ、より悪の程度が小さい方を選ぶしかない、そういう知恵を意味する言葉です。福沢諭吉も、「政治とは、悪さ加減の選択である」という言葉を残しています。

とはいえ、そのような理由で選んだにもかかわらず、選ばれた政治家に「自分は選挙で選ばれたのだから、白紙委任を受けたも同然だ」といわれると、さすがに鼻白む思いを禁じえないでしょう。ここには一票の意味について、かなりのギャップがありそうです。

投票という不器用な伝達手段

あるいは、こういうパターンはどうでしょうか。

仮にあなたが反原発という立場を支持しているとします。選挙区においては、ちょうど反原発を訴えるAという候補がいます。そこでAに一票を投じようと思ったのですが、実はあなたはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)にも関心があります。

この場合、あなたは交渉参加に否定的なのですが、AはTPPに賛成であり、TPP反対にもっとも熱心なのはむしろ候補者Bだとしたらどうするでしょう。困ったあげくに、それでもAに入れたところ、結局Aの所属する政党によってTPPが推進されてしまったなんていうこともありえます。

あらゆる政策において賛成できる政治家や政党なんて、そもそも存在しないのかもしれません。それでもあなたは一票を投じなければなりません。「Aさんを支持したのは、反原発のためであって、TPPが理由じゃなかったんだけどな」というような事態も、けっして例外的ではないはずです。

私たちは、それぞれの思いを込めて、一票を投じます。しかしながら、そのようにして投じた一票が、投票結果において、まったく異なった意味に「伝達」されてしまうこともあるのです。ある意味で、投票とはきわめて不器用な伝達装置なのかもしれません。

結局のところ、私たちは一票を投じるにあたって、かなり微妙な計算をしなければなりません。完璧に「これだ」と思える候補者や党が存在しなくても、「悪さ加減」を考慮しながら選択するしか道がないのです。

票を投じた候補者が当選するか、また票を投じた党がどれだけ議席を獲得する可能性があるか、そしてその候補者や党が、現在の政治状況でどのような役割をはたす可能性があるのか。私たちはこれらを考えながら、自分の思いをもっとも効果的に示す方法を模索することになります。

ねじれた投票行動の意味

ちなみに、次のような質問もいただいています。「今回の選挙の小選挙区選では、比例代表で一票を投じようと思っている政党とは所属の異なる候補に投票しようと思っています。小選挙区では支持している政党の候補者に疑問があるためです。こうした、いわばねじれた投票行動は、政治的にどのような意味を持つと思われますか」。

従来から、小選挙区と比例代表で異なる政党選択をすることは珍しくありませんでした。とくに小政党の支持者にとって、小選挙区ではその党の候補者に勝ち目が乏しいこともしばしばです。その場合、死票を投じるぐらいなら、当選の可能性のある他党の候補に入れるという選択はありえました。

この場合、小選挙区で政権党を選択し、比例代表でより多様な政治的主張を国会に伝えるという意味で、けっして非合理な選択ではないと思います。ある意味で、自分のもっている投票権を効果的に使ったことになるでしょう。

とはいえ、この質問をして下さった方は、「矛盾した行動で、自分の貴重な投票権を無にしているような腑に落ちなさを感じています」とも付け加えています。そのお悩みは、上に書いた場合と少し違うのかもしれません。

離合集散がもたらす政党と候補者の不一致

現在、次から次へと新党が登場し、政党の離合集散が続いています。既成政党においても、内部での意見の食い違いが露呈し、その党が公式に表明しているものと異なる政治的見解を公言する候補者もいます。

結果として、政党名をみれば、候補者がだいたいどういう考えの人であるかわかる、とは到底いえない状況です。「もはや人で選ぶしかない」という声もありますが、実際、ある政党の支持者にとって、自分の小選挙区におけるその党の候補者を支持していいのか、悩む事例は少なくなさそうです。

もちろん、このような状況は例外的なはずです。衆議院の選挙制度が大政党に有利な小選挙区制を中心としている以上、必然的に政党の数は限られてくるはずです。今のような政党の乱立や合従連衡はいつまでも続かないでしょう。

とはいえ、現状において小政党が乱立しているとすれば、それは、ある意味で既成の大政党が民意をよく反映していないことへの、あるいはこのような選挙制度そのものへの異議申し立てなのかもしれません。

その意味で、過渡期にあたる今回の総選挙では、有権者は党と候補者の間の関係について、より慎重に考えなければなりません。最終的には、誰が当選するかによって、それぞれの政党のあり方が決まってくると考えるべきでしょう。

そうだとすれば、比例代表では支持する政党名を書くものの、小選挙区のその党の候補者が自分の望ましいと思う人ではなかった場合、別の党の候補者に入れるというのも、それはそれで、党へのひとつのメッセージになりえます。

選挙はコミュニケーションの最大の機会

ちなみに、アメリカの大統領選では、ほぼ1年をかけて選挙戦が行なわれます。4年の任期に対して1年をかけるのですから、たいへんなものです。ちょっと非効率にも思えますが、アメリカ大統領の権限の大きさを考えると無理もないのかもしれません。

合衆国軍の最高司令官でもある大統領は、戦争を開始することができます。核ミサイルの発射ボタンを押す権限をもっているともいいます。そのような大統領を選ぶにあたって、長い時間をかけて、政策のみならず、人柄や信仰、さらには家族関係まで検討するのは当然といえるでしょう。

それだけの時間をかけた、過酷な選挙戦のレースを勝ち抜いたからこそ、大統領にはかなりの裁量権が委ねられます。それと比べるならば、日本の選挙戦は、長くても17日間です。期間だけが問題ではありませんが、「白紙委任」というほどの全面的な承認を与えたとはいえないはずです。

選挙とは、有権者と候補者、あるいは政党のコミュニケーションだと思います。ここまで書いてきたように、一見単純な「票を投じる」という行為には、実に多くの情報量が込められています。

もちろん、その一票に込めた思いが、候補者や政党に正しく伝わるかはわかりません。小選挙区制で死票が大量に生じるのはもちろん、当選した候補者ですら、有権者の期待とは違った行動をとる可能性もあります。

とはいえ、やはり選挙はこのような意味でのコミュニケーションの最大の機会であることには変わりありません。この機会を、私たち有権者は賢明に行使したいものです。

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宇野重規 Uno Shigeki
東京大学教授

1967年生れ。1996年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。東京大学社会科学研究所教授。専攻は政治思想史、政治哲学。著書に『政治哲学へ―現代フランスとの対話』(東京大学出版会、渋沢・クローデル賞ルイ・ヴィトン特別賞)、『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社、サントリー学芸賞)、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)、共編著に『希望学[1]』『希望学[4]』(ともに東京大学出版会)などがある。

※この記事はニュース解説サイト『Foresight』より転載させていただいたものです。 http://www.fsight.jp/ [リンク]
※画像:ポスター掲示板
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