夢のような男をめぐる短編集〜遠田潤子『雨の中の涙のように』

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夢のような男をめぐる短編集〜遠田潤子『雨の中の涙のように』

 友だちが大のハリソン・フォードファンだったので、『ブレードランナー』は映画館で同じ日に連続で2回観た(昔の映画館のほとんどは現在のシネコンなどと違って入れ替え制ではなかったため、こういうことが可能だった)。レプリカントと呼ばれる、高い知性を持つ人造人間が発明された世界。過酷な労働や戦闘に従事させられていた彼らはしかし、徐々に感情が芽生え人間社会へ紛れ込もうとするようになる。ハリソン・フォードは、脱走レプリカントを抹殺する任務を負った警察の元専任捜査官(ブレードランナー)のデッカード役。友だちはうっとりと見とれていたが、私は敵対するレプリカント・バッティ役のルトガー・ハウアーに釘付けになった。

 冒頭からいきなり長々と「ブレードランナー」について書き連ねた理由は、本書のタイトル『雨の中の涙のように』が映画のラストに出てくるバッティの台詞の一部だからだ。「……思い出も時と共に消える。雨の中の涙のように」、忘れ得ぬ感動をもたらすシーンだ。

 全編を通じての最重要人物である堀尾葉介も、出会った者の心を揺さぶり続ける存在。「RIDE」というアイドルグループの一員として14歳でデビューし、爆発的な人気を得た。その後、人気絶頂の最中に突然グループを脱退し、俳優に転身。整った顔立ち、長身で手足が長くすらりとした体型、桁違いのオーラを放ちながら人柄は謙虚。異性のみならず同性からも、「背中に翼があってもおかしくない」という印象を持たれる男だ。

 本書は連作短編集。堀尾葉介と関わりを持った男たち、そして堀尾自身が8つの短編の主人公となっている。誰の人生にも苦悩があるように、彼らも悩みや苦痛を抱えながら生きてきた。どんなにやり直したくても変えられない過去がある。でも勇気を持てれば、そこから一歩踏み出すことは可能だ。特に印象的だったのは、第二章「だし巻きとマックィーンのアランセーター」。鶏卵店を営む主人公の小西章は、堀尾葉介との因縁とその後に訪れた短い交流によって、現状を変えようという勇気を得ていく。一方で堀尾葉介自身については、「「堀尾葉介」という男は僕の理想だった」「僕にとって一番遠くて難しい役は僕自身、ただの堀尾葉介だった」という心情が描かれる。しかし、人生を懸けて演じ続けてきたのであれば、それはもはや彼そのものに限りなく近いといえるのではないだろうか。誰よりも過去に囚われてきたといえる堀尾葉介が最終的にたどり着いた場所まで、ぜひ読み進めていただきたい。

 読みどころは他に、さまざまな映画についての記述にもあるといえよう。例えば前述の第二章「だし巻きとマックィーンのアランセーター」では、「大脱走」の魅力が語られる。個人的に「大脱走」が好きなので、この短編が心に残った要因のひとつでもる。最終章「美しい人生」で触れられるのは、フランク・キャプラの名作「素晴らしき哉、人生!」。本書の幕引きもまた美しい、「ブレードランナー」のように。

 これまで読んだ遠田作品の中でいちばん、はっきりとした希望と救いを感じられる内容だった。重くて暗い側面を持つ短編もあるにもかかわらず。本書の放つ光は、堀尾葉介という稀有なキャラクターに負うところも大きいと思う。ダメな男を書かせたら抜群の冴えをみせる遠田さんの筆にかかれば、夢のような男もやはり強烈に魅力的でした。

(松井ゆかり)

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