「ただ一つ存在に価するもの」を描くグランベール『神さまの貨物』

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「ただ一つ存在に価するもの」を描くグランベール『神さまの貨物』

 列車は人や動物や荷物を乗せて走る。本来は人のさまざまな気持ちをも運ぶ乗り物だと思う。しかし、その列車に存在したのは絶望のみのはずだった。父親によって投げ落とされた赤ん坊が希望そのものとなるまでは。

 子どもは天からの贈り物だ。自分の子であっても、よそ様の家の子であっても。しかし、私たちはしばしばそのことを忘れてしまう。だけど、ほんとうは子どもが生まれてこの世に存在すること自体が奇跡なのだ。ましてその子が、強制収容所へと向かう電車の中から、せめてひとりだけでも助かってほしいと願った父親によって投げ落とされた赤ん坊であった場合には。

 物語は、大きな森に住む木こりのおかみさんが子どもを待ち望んでいたことから始まる。戦争と厳しい寒さと飢えによって貧しい生活を強いられていたけれども、そして夫である木こりは子どもがいないことを不幸中の幸いくらいに考えていたけれども、おかみさんは「愛し、大切に育てていく子ども」を熱望していた。だが、子どもはやって来ない。おかみさんは長らく叶えられることのなかった祈りを、森を切り開いて行き来するようになった列車に向けた。いつか自分に素晴らしい施しをしてくれるのではないかと期待して。そして、とうとうおかみさんの望みは現実のものとなった。あるとき、列車はひとりの女の赤ん坊をおかみさんの手に残していった。おかみさんは驚き、混乱し、そして歓喜した。おかみさん以外には初めは誰からも歓迎されなかった赤ん坊の存在は、やがていろんな人々の運命を変えていく。赤ん坊の味方となった人々に共通していたことがひとつあった。それは、彼らがその子の幸せを心から願ったこと。

 戦争はいとも簡単にさまざまなものを私たちから奪っていく。兵士の命を奪い、何の罪もない人々の命を奪い、国土や美しい風景を奪う。そして、生き残った者の心に大きな傷を残す。それがずっと昔の戦争であっても、人の心の傷がほんとうに癒えることはないのかもしれない。自分が経験していない戦争のせいで、何世代にもわたって苦しみ続ける人々もいる。

 だとすれば、生き延びることができた者や彼らが未来へつないだ命として生まれた私たちがほんとうにしなければならないのは、戦時中にどんなことが起きていたのかから目を背けたり事実を歪曲したりすることではない。戦争という特殊な状況下では人間は冷静な判断力や理性を失いやすいこと、そうならないためにも過去から学ぶ必要があること、何よりも同じ過ちを決して繰り返してはならないことを心に刻まなければならない。

 けれど、暗い材料ばかりではない。だって、私たちは極限状態にありながら、相手の幸せを願って行動することもできるではないか。本書で赤ん坊を助けた何人もの人々のように、ただひたすらに損得や打算などにとらわれることなく。誰もがそんな風に他者に思いやりを持つことができたら、少しずつであっても世界が変わっていくのだと信じたい。それは私たちが果たすべき役割でもあるはずだ。今日まで生き長らえることができたということは、私たちだってかつては奇跡の子どもだったのだから。

 フランスの劇作家・児童文学作家であるジャン=クロード・グランベールによって綴られたこの物語は、それほど長い作品ではない。でも、本書には「ただ一つ存在に価するもの」が書かれている。翻訳を手がけられた河野万里子さんのあとがきまで、すべてが胸を打つ一冊。

(松井ゆかり)

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