読書嫌いと本の虫の青春ミステリー〜青谷真未『読書嫌いのための図書室案内』
読書家の登場人物が出てきたり、本にまつわる施設(書店・図書館・学校図書室など)が舞台となったりするような小説、たいていの読書好きの好みのどストライクだろう。本書は図書委員の高校生男子が主人公、同じクラスのもうひとりの委員は本の虫である女子、まさに舞台は整った状態。主人公が本が苦手、というのも何ら興を削ぐものではない。
荒坂浩二は2年6組の図書委員。「部活動、または委員会活動のどちらかに参加しなければいけない」という校則にしたがって、消去法で図書委員を選んだ。しかし、最初の委員会の自己紹介でほぼ全委員が好きな本を難なくあげていく中、「好きな本はありません」と発言し司書の河合先生の目に留まってしまう。「読書をしない荒坂君に、本に興味がない人も手に取ってもらえるような新聞を作ってもらいたい」と図書新聞を作るように命じられた荒坂は、このとき初めて藤生と言葉を交わす(友だちのいない藤生は誰かと話をすること自体慣れていない様子だったが)。
図書新聞の構成は読書感想文(『あの人の心に残る一冊』的コーナー)をメインに、他は新着図書の紹介や編集後記で埋めるということで落ち着く。読書感想文は先生や他の生徒に協力を依頼して、その文章に自分たちもコメントを添えることにしようと方向性も決まった(荒坂の『本嫌いの感想』と藤生の『本の虫の感想』を並べる形で)。読書感想文は、生物教師の樋崎先生・元美術部だった藤生の先輩である緑川先輩・同級生の八重樫に依頼することに。しかしながら、彼らは感想文を書くにあたってそれぞれに条件をつけてきて…。
本書は本をめぐる物語であると同時に、青春ミステリーでもある。もうすぐ自分の国へ帰ってしまう留学生・アリシアへの八重樫の思いは正しく伝わったのか。緑川部長とどちらが美術展に出品されるかの候補に残った美術部員時代の荒坂の絵はどこへ行ったのか。樋崎先生が18年間にわたって隠し続けてきたものは何だったのか。荒坂がいわゆる日常の謎を解く探偵なら、藤生はさしずめ”読書探偵”といえよう。その本にどんなことが書かれているか、一般的な読み方とされている意見とは違う可能性を提示してみせることで相手の心に訴えかける。荒坂もまた、彼の目に映った断片的な事実の関連性を次第に整理することで、真実を明らかにしていく。
読書好きに悪い人はいないなどと短絡的なことを言うつもりもないし(だったら、荒坂はほぼ全編を通して悪者だ)、謎は謎のままにしておいた方がよいような場合もあるかもしれない。しかしながら、他人に言えない秘密を抱えて生きてきた登場人物たちが真実を前にして、苦いながらも晴れ晴れとした新たな一歩を踏み出して行く様子にはほっとさせられる。本を読めば何もかも解決するわけでもなければ、本にばかり没頭する姿が他者を遠ざける可能性だってあり得る。それでも、本を読むことで広がる世界は確かにある。
「この世にある物語はすべて予言の書になり得るからです」とは、「荒坂くんはどうして人は本を読むんだと思いますか?」と藤生自身が発した問いへの答えだ。重ねて藤生は「書物の中でも時に物語に没頭するのはなぜだと思いますか?」と問いかけながら、やはり自ら「私は、幾通りもの経験をシミュレートできるからだと思います」と答えを出していた(「ただの受け売りですから…」と恐縮しつつ)。確かに私たちの人生は一度きりで、他者との代替は不可能だ。しかし、物語を読むことで、私たちは束の間自分のものではない人生を生きることができる。映画や演劇などでもその感覚を味わうことは可能だが、演者や舞台装置に頼ることなくすべて自分のイマジネーションで物語を再構築できるのは、本というツールならではだ。だからこそ、読書好きは本に引きつけられるのだと思う。荒坂が藤生と出会ったことで、今後本というものとどのようにつきあっていくかも楽しみなになってきた。
著者の青谷真未さんの著書については、以前当コーナーでも『ショパンの心臓』(ポプラ文庫)を取り上げさせていただいた(2016年11月9日更新)。こちらはいわゆる美術ミステリーである(ショパンという音楽家の名前が入ってるけれども)。”荒坂が元美術部”設定といったところに共通項のようなものが感じられる。よろしければ、こちらもぜひ。
(松井ゆかり)
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