物珍しさではなく、作品そのものの価値で語られるべき充実のアンソロジー
イスラエルSFのアンソロジー。原著はアメリカで2018年に刊行されたが、編者のふたりはイスラエル人だ。
収録作品は、(1)元から英語で発表されたもの、(2)ヘブライ語で書かれたものの英訳、(3)ロシア語で書かれたものの英訳(現代イスラエルには多くのロシア語話者が在住)――が入り交じっている。全十六篇。
初出年はもっとも古い「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」で1984年だが、これは例外的で、ほかは1999年から2017年と新しい。
ホロコーストや黙示録、集団移住(ディアスポラ)、改変時間線を含めた歴史への批判的問いかけなど、イスラエル固有の問題が、いくつかの収録作品に残響のように立ちこめているとは言え、アンソロジー全体を通して見るとテーマ面においても設定やアイデアにおいても多様な印象のほうが強い。編者たちは巻末解説(原著では巻末ではなくロバート・シルヴァーバーグの「まえがき」の次に配置されていた由)「イスラエルSFの歴史」で、かつてはヨーロッパ系ユダヤ男性だけで成りたっていたヘブライ文学だが、インターネット普及以降は、英語その他の言語を駆使する女性など、人種においても拠って立つ世界観においても参加枠を広げていると指摘する。
このアンソロジー自体、イスラエルSFという物珍しさではなく、収録作品自体の価値(現代性、普遍性、空想小説としての強度)で評価されるべき一冊だ。
ぼくがもっとも面白く読んだのは、ニタイ・ペレツ「ろくでもない秋」だ。テルアビブにUFOが到来、なんでもない青年が突如聖人になり、廃品回収屋の驢馬がしゃべりはじめる。しかし、語り手である俺の気がかりは自分を捨てた恋人オシャーだけ……。まさしくSF版「傘がない」だけど、井上陽水的な抒情の代わりに、ひどくグルーミーなユーモアが立ちこめている。
ユーモア感覚の点では、モルデハイ・サソン「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」も絶品。ポンコツのロボット(優れた芸術家だが宝の持ち腐れだ。ロボットが描いた絵など誰も欲しがらないから)が通りをうろついているエルサレム。語り手のお祖母ちゃん(人が良さそうに見えるが老獪)は、古釘を餌にしてロボットをいいように使っていた。ロボットが命じられるがままにキッチンへ行くと、そこに狂暴な巨大ネズミがいて大騒ぎになる。じつはベータ線の実験で、知能が増大、特殊な身体能力を身につけたネズミたちが跋扈しはじめていたのだ。トボけたスラップスティックが楽しい。
シリアスな作品では、読心能力を持った娘がその能力を訓練する施設で奇妙なイニシエーションを受けるガイ・ハソン「完璧な娘」、宗教的戒律を容赦なく実行する神が降臨した世界を描くニル・ヤニヴ「信心者たち」、謎の気候変動による世界終末を限定的視点で綴ったサヴィヨン・リーブレヒト「夜の似合う場所」、多世界解釈が実感できる設定のもと愛と人生の意味を問うペサハ(パヴェル)・エマヌエル「白いカーテン」、など。
ナヴァ・セメル「星々の狩人」は、夜空からすべての星が消える、グレッグ・イーガン『宇宙消失』(の導入)的状況を扱いながら、物理的スペクタクルや哲理的思量へ向かうのではなく、静逸な詩情がほのかに漂う。愛すべき小品だ。
(牧眞司)
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