美をめぐる真正と倫理を、SFの設定とミステリの構成で描く
地球の衛星軌道上に建造された博物館天体〈アフロディーテ〉を舞台とするシリーズ三巻目。絵画・工芸・音楽・舞台・文芸・動物・植物などありとあらゆる美が網羅され、データベースに頭脳を直結させた学芸員が活躍している。
この巻を貫く物語は、美術品闇取引をおこなう組織〈アート・スタイラー〉との攻防だ。〈アフロディーテ〉に赴任してまもない自警団員、兵藤健が主人公である。
なにしろ敵となる〈アート・スタイラー〉は地下組織、その全貌どころか、そもそも実在しているかすらさだかではない。その謎めいた影が〈アフロディーテ〉へ忍びよるエピソードが、第二章「にせもの」である。
発端は、降って湧いたような贋作問題。〈アフロディーテ〉所有の逸品「片切彫(かたぎりぼり)松竹梅」とそっくりの壺が、地球の蔵から発見された。壺に付随する文書――美術品の真正を裏づける来歴(プロヴナンス)――まで同一なのである。異なるのは、〈アフロディーテ〉の壺にだけ、制作者が発行していた認定シールが貼られていることだが、来歴書を精査してみると〈アフロディーテ〉のほうの文書のほうが疑わしいという。
両方の壺を比較するため、地球で見つかった壺が国際警察機構美術班の木下五郎の手で〈アフロディーテ〉へ運びこまれる。しかし、科学分析が終わりきらないうち、ふたつの壺が来歴書ごと持ちさられてしまう。分析担当者によれば、壺を持っていったのは木下だという。だが、まったく同じ時刻に、木下は兵藤たちとお茶を飲んでいたのだ。入室認証の記録によれば、どちらの木下も同じ指紋、同じ虹彩、同じ顔貌であり、同じIDを持っていた。
同一の壺と同一の人物。あるいは、贋の作品と偽の人物。
その背後に〈アート・スタイラー〉の影がちらつく。
美術犯罪組織との攻防がストレートに進むのではなく、第一章「一寸の虫にも」で問題となった違法な遺伝子操作で生みだされた昆虫の扱い、第三章「笑顔の写真」および第四章「笑顔のゆくえ」で語られる銀塩写真家にふりかかった災難、第五章「遙かな花」で掘りおこされる失われた薬効植物の顛末、これらが思わぬかたちで〈アート・スタイラー〉事件にむすびつく。
それぞれのエピソードは独立して読め、ひとつひとつ深いテーマが提示されるのだが、複線的な構成で『歓喜の歌』という大きな物語が立ちあがる。そして、前巻『不見の月』から持ちこされた兵藤健の叔父、兵藤丈次(健にとっては優しい思い出だが悪の匂いがする不思議な人物)の謎も、クライマックスで明かされる。
SFの発想、ミステリの趣向、人間ドラマの抑揚、バランス良く備えた作品だ。
(牧眞司)
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