『千日の瑠璃』383日目——私はルアーだ。(丸山健二小説連載)

 

私はルアーだ。

ふさふさした物とちゃらちゃらした物のなかに鋭い鉤を隠し持っている、底層用のルアーだ。俄仕込みの知識に頼って私を操っている若者は、高価なスピニングロッドをむやみに振り回し、せっせとリールを巻くだけですっかり満足している。竿がぐっとしなって、私がびゅっと飛び出して行くたびに、彼の未来は湖面のようにきらきらと輝くのだ。

移り住んでからもうだいぶ経つというのに、彼はきょうはじめてまほろ町を受け入れた。つまり、胸のところにつけている青い鳥のバッジの効き目を信じる気持ちになった。野生の大麻を売って得た金は、彼の心構えを一変させただけではなく、体型までも変えてしまった。町工場で働かなくてもよくなり、明日を思い煩うことなく好きなだけ飲み食いできるようになった彼は、たちまちぶくぶくと太った。彼は妻にこう言った。一年以内にブラックバス釣りの名人になってみせる、と。

彼は、煙草銭にも困っていたちょっと前の自分を私に引っ掛けて、湖底へ沈めてしまう。同じようにして、駆け落ちを決意したときの情熱やら、貧苦に耐える力やら、異郷で暮らす侘しさやらを、うたかた湖のあちこちに投げ棄てる。彼が高調子に歌う幸運の歌は竿を通し、糸を通して私に届き、私はそれを水中に響かせる。そのあとで彼は、私にバッジを掛けてはるか遠くまで飛ばそうとする。だが、本物の鳥のように飛んだり鳴いたりすることはない。
(10・18・水)

丸山健二×ガジェット通信

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