『千日の瑠璃』382日目——私は低気圧だ。(丸山健二小説連載)

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私は低気圧だ。

小さ過ぎて高性能な気象用レーダーにも映らなかったために、天気情報から洩れてしまった低気圧だ。うつせみ山の山頂付近で突如として発生した私は、てっぺんに一軒家を載せた片丘によって増幅され、さんざん去就に迷ってから、まほろ町全域をすっぽりと覆う。そして私はおざなりな雨を降らせ、酷薄な風を吹かせ、数々の武勲に輝きながらも年と共に気が咎めるようになった老爺と、無常を感じて発心した若き禅僧とが佇むうたかた湖をかき乱し、山の池で秀美の絵模様を順調に育んでいる錦鯉の幼魚を水面から消す。

すると、硬骨の士でもなければ廉直な人物でもなく、また、豪放磊落な気性の持ち主でもない、背中に彫った緋鯉に支えられて辛うじて生きている前科者が、だしぬけに喜怒を色に出し、そこにはいない相手に向って怒鳴る。私がもたらした頭痛によって彼の心は大きく乱れ、自責の念に駆られる。彼はいつものように責任の転嫁へと逃れることに失敗し、斬死したり内応したりしたかつての仲間との一蓮托生の記憶が生々しく甦る。

私はますます強腰に出て、男の背の緋鯉をのたうち回らせる。男は、不可測な事態の発生に期待するもうひとりの自分を断固排撃すべく、がなり立てる。彼はわめき散らしながら、聞えるわけもないうつせみ山の寺の誦経の声をたしかに聞いたと思う。そうした彼の身もだえは、私が消滅する日没までつづく。
(10・17・火)

丸山健二×ガジェット通信

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