『千日の瑠璃』379日目——私は俵だ。(丸山健二小説連載)

 

私は俵だ。

藁の小束と荒縄と郷愁を材料にして三日掛かりで作られた、本格的な米の俵だ。しかし私は本物でも、私のなかに詰めこまれているのは本物の新米ではなく、今では利用価値もない籾殻だった。要するに私は、近日開店の運びとなった街道沿いの蕎麦屋を飾る、客寄せの縁起物でしかなかった。だが、ほかに見る物がいくらでもあるために、人々は私なんぞには目もくれないで通り過ぎるのだった。

ところが、子孫に遺訓を垂れる元気もなく、ただ暇というだけの年寄りふたりが、こっちへやってきた。心腹の友であるかれらは、十五俵を五段に積まれた私を見ながら、言い合った。まずひとりが、「若い時分にはこいつをふたつ担いで半間幅の川をまたいだもんだ」と言った。するともうひとりが、「わしなんか三俵背負って梯子を昇り降りしたもんさ」と言った。そうやって自慢し合っているうちに、かれらは身中に甦る力を感じ、衰えた筋肉の隅々に往年の情熱が漲るのを覚えた。

ひとりがやにわに私に抱きつき、いっぺんに二俵を軽々と担いだ。あとのひとりが曲った腰に三俵乗せてみせた。私の中身を承知しながら、かれらは過ぎ去った四半世紀を手元へ引き寄せた。ふたりは笑いながら私を投げ飛ばした。ひとつが籾殻よりも軽い命を持つ少年の背中に当たった。少年が起きあがるのを確かめたあと、老人たちはまた、終りかけている凡庸な一生のなかへと帰って行った。
(10・14・土)

丸山健二×ガジェット通信

  1. HOME
  2. エンタメ
  3. 『千日の瑠璃』379日目——私は俵だ。(丸山健二小説連載)
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。