『千日の瑠璃』377日目——私は瞑想だ。(丸山健二小説連載)
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私は瞑想だ。
電撃的な啓示を受けて思い立った若い修行僧が初めて試みる、水中での瞑想だ。直情の彼は褌ひとつになってうたかた湖へ飛びこみ、見事な抜き手を切って進み、湖底から断続的に立ち昇る泡のところまでくると、今度は一気に潜る。そして、一度目の潜水ではおもし代りにする手頃な大きさの石を浅場で捜し、二度目はその石と共に深く深く沈んでゆく。
石を抱いた彼は、蓮の花を掌にした観音像と向き合う。彼は眼をしっかり開けて、唇の端から細かい泡を噴き出す木像の顔をまじまじと見つめる。しかし、あまりにも異なったそうした環境は、僧の集中力を奪い、混乱を招き、恐怖を与える。そこより更に深くてろくに光も届かないような背後から押し寄せてくる得体の知れぬ恐怖、どうにかそれに打ち克つ頃には、すでに肺のなかの空気が終っている。彼は急いで石を棄て、浮上する。
水面から顔を突き出してまほろ町の大気を胸いっぱいに吸いこむ音は、鳥の声に似ており、現にそれに応えるようにして丘の上のオオルリがさえずる。僧は諦めない。彼はふたたび石を抱いて潜り、潜っては浮上し、また潜るといったことを幾度も繰り返す。やがて彼は水中での座禅に成功し、遂には私を招き寄せてしまう。むろん時間は短く、私たちはすぐに離れ離れになり、振り出しに戻る。彼が大きく息を吸う音がひっきりなしにオオルリを刺戟する。そいつは烏の分際で私を嘲笑っている。
(10・12・木)
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