食ったことないほどうまい飯にありつく〜安田純平の戦場サバイバル

空爆現場から掘り起こされた生き埋めの女性=2012年7月15日

フリージャーナリストの安田純平さんがシリア取材や戦地取材にまつわる話を伝える連載です。

食ったことないほどうまい飯にありつく

  何という名前の料理だったのか。出されたご飯をひたすら口にかき込んだ。空っぽだった胃がようやく落ち着き、スプーンを置いて一息ついたとき、飯ってこんなにうまかったっけ、と心底思った。

  恐らく鶏肉か何かを煮込んだ煮汁で米を炊いたような、出汁のきいた薄茶色のご飯に、あとはヨーグルトだけというシンプルな食事だった。夢中で食い過ぎて、料理の名前も料理のしかたも聞くのを忘れたが、タマネギやニンニクと炒めた鶏肉や羊肉と米を炊くカプサと呼ばれる炊き込みご飯だったように思う。ただ、肉は貴重なので入ってなかった。

7月15日、シリア中部ラスタンの反政府側が運営しているメディアセンターで「実は朝から何も食ってない」と訴えたところ、「ちょっと待っていろ」と言って持ってきてくれた。反政府側は給食も行っているのだ。少し遅れてやってきたドイツ人カメラマンもやはり朝から何も食っていなかったようで、同じように飯をがっついていた。

  反政府側武装組織・自由シリア軍が市内から政府軍を駆逐したラスタンでは、非武装の市民が自治組織をつくり、市民の胃袋を支えるパン工場も運営していた。しかし、市の郊外に基地を設けた政府軍は工場にたびたび迫撃砲を撃ち込んでおり、そのたびに操業停止に追い込まれていた。このときも、数日前の砲撃の影響で市内にパンがなくなっていた。

  7月12日、ラスタンの30キロほど北の都市ハマの近郊、タラムセ村で、政府軍の砲撃によって100人を超える死者が出る事件があった。調査に乗り出した国連の停戦監視団は、停戦を破るものとして非難したが、そんなものは当初から有名無実だった。

  ラスタンでは政府軍によるヘリからの空爆や迫撃砲攻撃が連日続いていたが、特にこの事件のあとは激しかった。国際社会の注目がタラムセに集まっている間に攻勢を強める狙いのようだった。

  15日は午前3時ころから迫撃砲の着弾音が、その後は狙撃手からの発砲音と、ブツブツと何かに弾が当たる音が闇夜に響いていた。6時ころからは戦車砲攻撃が始まり、市内に着弾していた。

ろくに寝ることもできなかった私はすぐに病院へ行って死傷者がないことを確認し、居候先の民家に戻って再び横になった。食うものがないのだから寝て過ごすしかない。その後も続いた砲撃音に邪魔されながらうとうととしていた。

上空をヘリが飛んでいた11時ころには、かなり近い空爆が3発あり、あまりの轟音と振動に飛び起きた。漂ってきた焦げたにおいに不穏な気配を感じ、駆けつけると数百メートル先の民家が全壊していた。がれきの中に埋まった女性は周辺の住民によって救助されたが、掘り出された5歳ほどの子どもは腹に大きな穴が開いていてすでに息絶えていた。

ぼろぼろになった子どもの遺体を乗せたトラックで病院へ行くと、頭の上半分がなくなって脳が飛び出した状態のやはり5歳ほどの子どもの遺体があった。ほかに2人の子どもがいるはずの空爆現場では救助作業が続いていたが、数センチほどの大きさの肉片がいくつも出てきただけだった。

  空爆現場と病院の間を歩いて往復し、撮影を終えてメディアセンターに着いたのは午後2時ころになっていた。見たこともないようなひどい遺体を目撃し、血なまぐさいにおいにやられた私は、ぐったりとソファに身を沈めた。死傷者が出るのは毎日のことだったがこの日ほど消耗したことはなかった。

「飯は食ったのか?」

 こう問われて私は跳ね起きた。そして欲望のままにむさぼり食った。

※連載「安田純平の戦場サバイバル」の記事一覧はこちら

重機を使って空爆被害者を捜索する住民=2012年7月15日

【写真説明】
(写真1) 空爆現場から掘り起こされた生き埋めの女性=2012年7月15日
(写真2) 重機を使って空爆被害者を捜索する住民=2012年7月15日

安田純平(やすだじゅんぺい) フリージャーナリスト

安田純平(やすだじゅんぺい)フリージャーナリスト

1974年生。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
https://twitter.com/YASUDAjumpei

  1. HOME
  2. 政治・経済・社会
  3. 食ったことないほどうまい飯にありつく〜安田純平の戦場サバイバル

安田純平

1974年生フリージャーナリスト。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』

ウェブサイト: http://jumpei.net/

TwitterID: YASUDAjumpei

  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。

記事ランキング