『千日の瑠璃』354日目——私は共感だ。(丸山健二小説連載)
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私は共感だ。
何はともあれまほろ町でならどうにかこうにか生きてゆける人々、少年世一がかれらに覚える共感だ。私は、己れの反吐にまみれて大道に寝ころぶ酔漢を認める。また、特定の人物の名を挙げて政界の腐敗を痛論するのが巧く、歯応えのない物しか食べられなくなった老人を認める。それから私は、特売品が多過ぎて目移りがすると言ってはしゃぐ主婦と、まだ若い寡婦の尻を執拗に追い回して掻き口説く好き者と、深夜にさえずる暗黒の鳥にも愉楽の情を示す新生児を可とする。
あるいは、座視するに忍びない窮状をものともしないで幼い弟妹の世話に明け暮れる新聞配達の若者と、深く期するところがあって今は忍苦の日々に堪えている厳しい顔つきの男と、あっけらかんとして余生を送っているむかしは嬌名をうたわれた芸者と、人受けがよくない絵ばかり措きつづける物分かりのわるい老画家をよしとする。
あるいはまた、まだ認知されない私生児と、荒肝を拉ぐ勇猛さと裏の世界にふさわしい風貌を兼ね備えたやくざ者と、沈思黙考と安易な息抜きを繰り返すばかりで結局何の答も出せない才槌頭の知識人と、自分のやったことに頬被りして巧みに機鋒をそらすけちな盗っ人と、浮き世の如何なる変化にもまるっきり頓着しない傑人もどきの凡人と、三十歳にもなってまだおっかなびっくり世間の様子を窺っている男にも、一脈相通じるものがある。
(9・19・火)
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