『千日の瑠璃』351日目——私は体積だ。(丸山健二小説連載)

 

私は体積だ。

少年世一の病める残酷な肉体にもしっかりと宿っている魂の、いつまでも定まらない体積だ。実は私はうたかた湖のそれに匹敵する。あるいは、まほろ町のそれと肩を並べることも可能だ。あるいはまた、原始銀河のそれに迫ることができるかもしれない。世一がむきになって生きようとするとき、私はこう言ってやる。宇宙の広さや深さに圧倒されても一向に構わないが、しかし決して畏怖してはならない、と。

驚嘆すべきは私自身の広さと深さである、と私は独り言を呟く。現し世を唯一無二の世界と信じて惜しんではならない。こんな世は無数にあり、さながら水泡のように消えたり現われたりしているのだから、少しも貴重ではない。永遠の存在がなければ、永遠の無もありはしない。無は自身のあまりの虚しさに堪え切れずにのべつゆらぎ、そのゆらぎが限界に達したところで、そこから新しい世の種がホウセンカの種のように飛び出してくるのだ。そして存在はといえば、やがて自身の膨張に疲れ果てて際限のない凝縮へと向い、遂には絶対の無に帰するのだ。私もまた然りだ。私はオオルリのそれに匹敵し、重水の分子のそれと肩を並べることが可能で、もしかすると、クォークひとつ分のそれに迫ることができるかもしれない。だが、世一のすべてが私のなかにおさまり切っているわけではない。ときとして世一は、私の外へはみ出すこともある。私は世一の一部にすぎない。
(9・16・土)

丸山健二×ガジェット通信

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