『千日の瑠璃』350日目——私はサルスベリだ。(丸山健二小説連載)
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私はサルスベリだ。
まだまだいくらでも花を咲かせつづけて夏を引き延ばす、動物並みの精力に満ち溢れたサルスベリだ。私はありったけの紅色を武器にして、境内に漂う死の気配を相手に連日連夜孤軍奮闘し、隙あらばこの世に舞い戻ろうと機を窺う霊魂を押し返している。しかしこんな山奥の荒れ寺では、私の味方になってくれる者はいない。坊主はいないし、墓参に訪れる者もいない。たまに人の気配がしたかと思うと、それは見たくもない病気の少年だ。
きょうもあの少年がふらりと現われた。例によって彼は私には一瞥もくれず、倒れている墓石の上に立って、口笛で鳥の声を上手に真似てから、死を笑い飛ばした。ついで彼は、地べたに放置されたままになっていた観音の胸像を見つけ、黙ってそれを持ち去った。私の味方でも敵でもないそんながらくたなど消えてさばさばしたと思っているところへ、雷雨があった。いつもの夕立にしては激し過ぎると思っていたら、裏山の崖がまた崩れ、濁水がどっと押し寄せてきた。残っていた墓も泥に埋まったが、さいわい私は無事だった。
数万、数十万と細かく分かれた私の根が、一斉に墓地の水を吸いあげた。すると花がみるみる変色し、溶け、黒い滴となってぼたぼたと地面に落ちた。だが、私自体に変化はなかった。葉は緑で、枝もしっかりして、幹には狂い咲きを促す余力が残っていた。青い鳥が私にとまって鳴いた。「おまえは死んだぞ」
(9・15・金)
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