『千日の瑠璃』342日目——私は眼ざしだ。(丸山健二小説連載)

 

私は眼ざしだ。

ふたたび姿を見せるようになった少年世一に注がれる、まほろ町の人々のいつになく新鮮な、眼ざしだ。いなくてもさして気にもとめなかったのだが、久しぶりに現われると、なぜかまじまじと、ある種の懐かしさすら覚えて、私は世一をしっかりと受けとめてしまう。私は世一に纏いつき、まるで点検でもするみたいに体のあちこちを調べ、知っている世一と寸分違わぬ世一であるかどうかを確認する。

だが、世一にわざわざ声をかける者はいない。それでもかれらが世一を見て、不思議な安堵を覚えたのは事実だ。人々はその安心が一体どこからくるものか知らず、また、別段探ってみようともしないが、しかし私にはおよその見当がついている。かれらは世一の身を案じているのではない。世一がいなくなったときのわが身を心配しているのだ。幸福が何かを一瞬に教えてくれ、「おまえは不幸ではない」とその体全体で言ってくれる貴重な相手を失いたくないのだ。

世一は休み休み歩きながら、見ておくべきものをひと通り見る。そして世一は私に気がつくたびに、オオルリの勧めが間違っていなかったことを思い知る。世一はあたかも曾遊の地でも訪れたような気分で幾つもの通りをうろつき、さまざまに生きる人や犬や猫や鳥を眺め、それらすべての印象を胸のうちに取りこみ、私からも生きる力を吸い取って生き延びる糧とし、生きるに値する理由とする。
(9・7・木)

丸山健二×ガジェット通信

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