『千日の瑠璃』338日目——私は楓だ。(丸山健二小説連載)

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私は楓だ。

世一の家を有害な宇宙線や突風や天罰の類いから守っている、星の形の葉をいっぱいにつけた、楓だ。世一は退院後まだ一度も丘を下っていない。連日の猛暑や病みあがりの怠い体がそうさせているのではない。世一はただオオルリの傍を片時も離れたくないのだ。さもなければ、今世一は、ひたすら世一自身に専念したいのかもしれない。

私によじ登った世一は、猛禽の鋭い一撃を防ぐ網を掛けた鳥籠を枝に吊るす。世一もオオルリも私の上で食べ、私の上で飲み、私の上で歌い、そして私の上で排世する。私たちの上を夏を惜しむ雲が流れて行き、夏を謳歌した鳥が黙って渡って行き、生きとし生ける者すべての運命の鍵を握る時間がさりげなく移って行く。また、私たちの下では、曲線と回帰で成り立つうたかた湖の清らかな水がどこまでも水平を保ち、田舎町の在り様としては概ね良好といえるまほろ町はやり切れない暑気に閉じこめられ、天然の要害をこすっからく縫って進む街道には、何がどうでもいいと思わせてしまう強烈な光が淀んでいる。

きょう一日、私たちは幸せだろう。もしかすると、夕方までには一生分の幸福を手に入れるかもしれない。少なくとも、あしたへの心掛かりは皆無だ。オオルリのおかげで私は樹としての面白を保ち、世一のおかげで有機肥料と何事も介意しない大らかな気分を得ている。美醜を問わぬ風がまだ吹いている。
(9・3・日)

丸山健二×ガジェット通信

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