『千日の瑠璃』324日目——私は緑蔭樹だ。(丸山健二小説連載)

 

私は緑蔭樹だ。

植えられてから十年目にしてようやく本領を発揮し始めた、執りなしの巧い、雅俗を問わぬ緑蔭樹だ。気の利く年寄りが私の下に白いベンチを並べ、灰色の余生を坐らせた。まほろ町が茹だるような暑さに包みこまれたきょう、少年世一がふらりと現われ、暑さに火照った顔を私に向けてベンチに横たわり、深奥な哲理を窮めるような眼を閉じ、仮眠をとった。彼の体は相変らず成長とは無縁だった。それから、家督になるために醜女をめとった、件の人物が現われた。彼は私にこうぼやいた。結局はあれほど嫌っていた父親の前轍を踏むことになってしまったのだ、と。

ついで、宵寝して朝早く起きる元気いっぱいの、遁世生活など考えたこともない三人の老人がきて、私の傍で生ビールを酌み交しながら、天皇が憲法の埒外の存在であるか否かを巡り、口角泡を飛ばして白熱の議論を闘わせた。そしてかれらは、齟齬を来した見解とやや糖分の多い尿を私の根元に染みこませ、ほろ酔い機嫌で、論外な暮らしへと戻った。

そのあとで、日傘をさし、着映えのする浴衣を着た、淡泊な性格の娼婦が買物帰りに立ち寄り、人見知りしない幼子を相手に、浮き世のごたごたを語って聞かせた。わけもわからずに笑う子に、娼婦は漫に悲しくなって立ち去った。ふたりが別れたあとには石鹸と母乳の匂いが残った。私はきょう一日で葉の数を倍に増やし、幹を一センチも太らせた。
(8・20・日)

丸山健二×ガジェット通信

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