『千日の瑠璃』221日目——私はジェット旅客機だ。(丸山健二小説連載)

access_time create folderエンタメ

 

私はジェット旅客機だ。

定刻通りに現われて、まほろ町の空を西へ向ってすっぱりと切り裂く、大型のジェット旅客機だ。ほとんど毎晩のように、私を狙って地対空ミサイルのように飛ばされる深い怨嗟がある。飛行機事故という大厄で、大学を出たばかりの俊才ともいうべきひとり息子を失った夫婦は、私をめがけて怨言の矢を放つのだ。それは屋根瓦を突き破って飛び出し、正確に私にぶつかる。そのたびに私はぐらっと揺れる。機長と副機長は山国特有の乱気流のせいにして、馴れた飛行をつづける。

しかし今夜のかれらは、揃って不可解な体験をしたのだ。まずは、レーダーに凄惨な事故現場がくっきりと、映画よりも鮮明に映し出された。山脈の尾根に腹這いになって炎上する私の仲間と、死にゆく乗客乗員の姿を、ふたりはたしかに見た。かれらが叫ぶと同時に私は失速し、一気に高度を下げた。だが、かれらの耳に挿まっているレシーバーに小鳥の声が流れると、私はふたたび落着き、いつもの安定した航行に戻ることができた。

ところが、それでもオオルリのさえずりは機内に残ったのだ。機長や副機長のみならず、スチュアーデスも、三百六十五人の乗客も皆、それが聞えているあいだ中微動だにせず、かれらの眼はというとうつろで、生と隣り合せた暗闇の世界を垣間見てしまった瞳は、どれもごま粒のように小さくなっていた。杞憂はうつせみ山を離れても尚しばらくつづいた。
(5・9・火)

丸山健二×ガジェット通信

  1. HOME
  2. エンタメ
  3. 『千日の瑠璃』221日目——私はジェット旅客機だ。(丸山健二小説連載)
access_time create folderエンタメ
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。