『千日の瑠璃』157日目——私は自由だ。(丸山健二小説連載)

 

私は自由だ。

今時物乞いをして、それも地方ばかり回って生きる男、そんな変人にかれこれ半世紀も付き纏って離れない、自由だ。戦後の混乱期に感謝している財界人は決して珍しくないが、しかし、乞食の世界ではおそらく彼ひとりだろう。今では事の発端から話す者がほとんどいなくなったあの戦争は、彼から家と家族を奪い、ついでに希望まで根こそぎ奪い取った。それは、戦場にいた者が死なず、銃後の者が死んでしまうという、当時としてはありふれた悲劇でしかなかった。初めのうち彼は、食べるためだけに、もしくは、生き延びたことを忘れるためだけに、ひたすら各地をさすらった。そしていつしか彼は、放浪の日々のなかから私を手に入れたのだ。いや、私たちの出逢いは単なる野合かもしれなかった。

悪路に悩まされながら残雪の山を越えて、今朝早々とまほろ町へ辿り着いた彼は、太陽によって大陸へ帰る日が間近いことを知り、さかんに翼の力を試している白鳥をしばらく見物し、それから腹ごしらえをするために町へと入って行った。最初の角を曲ろうとしたとき、彼は出会いがしらに誰かとぶつかった。仰向けに倒れて亀のようにもがく少年の眼のなかに、彼は私以上の自由を見た。のべつよそ見をしているような少年の動きが病気のせいだとわかると、物乞いはそのむさ苦しい風体で、財政の失調を招いているに違いないこの町を圧倒し、そっくり返って笑った。
(3・6・月)

丸山健二×ガジェット通信

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