素人が増えただけで仕事を失うプロなんて、淘汰されるしかあるまい

今回はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠』からご寄稿いただきました。

素人が増えただけで仕事を失うプロなんて、淘汰されるしかあるまい

ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった – Togetter
http://togetter.com/li/363578
 
上記のまとめを読んでいると、なんとなく、「うんうん、その通りだね。プロの社会的価値を下落させる何者かを、“あるべき顧客の姿”に戻さないといけないね」と頷きたくなる。しかし少し真面目に考えてみれば、他業種・他分野では到底通用しない考え方だと気づかざるを得ない。

他業種・他分野では、“プロの社会的価値を下落させ、顧客を喪失させる何か”の実例はいくらでもある。

例えばマイカーの普及は、馬車の御者や人力車といったプロの仕事を奪い、後にはローカル鉄道や路線バスの採算性をも破綻させた。人々が欲しかったのは、馬車でも人力車でもなく「素早く目的地に到達すること」だった。だから「素早く目的地に到達すること」がマイカーで達成されるようになれば、馬車や人力車やローカル鉄道にお金を払いたいとは誰も思わなくなる。マイカーが普及しても優位性が失われない特殊な分野を除けば、お払い箱になるしかなかった。

道具やテクノロジーが普及し、「プロでなければ出来ない仕事」が「誰にでもできる仕事」に変われば、プロがプロとして仕事を期待されるの総量が減少するのは必然。素人がボタンひとつでこなせるような仕事を、カネを払ってまでプロに任せようとは、誰も思うまい。

反対に、「誰にでもできる仕事」とみなされていたものが、「誰にでもできるとは限らない仕事」になり、結果としてプロの仕事が増える分野もある。その典型例は、保育分野だろう。ちょっと前までの日本では、乳幼児の子育ては母親がこなせて当然とみなされていた。さらに遡れば「親はなくとも子は育つ」という諺が示していたように、ほかの親族や地域の人達との共同的な子育てが行われていた時代もあった*1。そうした時代においては、「子育てをプロに任せなければならない」ニーズ自体が少なかった。

*1:ちなみに、そのような時代においては、育つ見込みのない状態または境遇の子どもはさっさと間引きされていた。昔の子育ては一見理想的なように見えて、それなり恐ろしい要素を含んでいたことは付記しておく。

ところが、産後の母親がすぐに仕事をしなければならない状況が増え、虐待やネグレクトの問題がクローズアップされてくるなかで、「父親も母親もやりたくない(またはできない)子育てを誰が引き受けるか」が問題になってきた。つまり子育てを専門家に任せるニーズが高まってきたわけで、保育業においては「顧客は増えている」。事実、そのような父兄が多く暮らしている地域では、保育業の供給は需要に追いつかなくなっており、いわゆる待機児童問題が発生している。少子化が起こっているにもかかわらず、である。

このように、時代のニーズやテクノロジーの普及度合いによって、種々の職業の「プロの社会的価値やニーズ」が変化しているのがみてとれる。ここでは目立つ例だけをピックアップしたが、実際には、土建業、小売業、風俗業など、多くの分野に当てはまることだろうと思う。リンク先で言及されているモノ書きの世界にも、ある程度当てはまるだろう。

素人の書き手が増えて、どういうプロの書き手が脅かされているのか

では、プロのモノ書きの人達は、どのようにして「プロの社会的価値」とやらを脅かされているのか?

前述の論法でいくと、今、プロとしての社会的価値を喪失しているモノ書きというのは、「プロでなければ出来ない仕事」を「素人の書き手」によって脅かされている人達、ということになる。ということは、naverまとめ・wiki・pixivといったものと直接競合するような領域で頑張っているプロ、ということになる。「最近になって素人に分配されたテクノロジーによって簡単に代替されてしまうような仕事をしていたプロ」、とも言えるかもしれない。

そのような領域でメシを食っている人達は、素人のプロダクツとの差別化をくっきりとやってのけない限り、早晩プロとしての立ち位置を喪ってしまうだろう。2012年現在、日本のサブカルチャー領域などはまさにそういう状況になっていて、絵描きにせよ、文章執筆者にせよ、身を立てようと思ったら凡百の素人とはハッキリ違った差別化を維持しなければならない。また、ゴシップ記事の類も、2ch、大手小町、はてな匿名ダイアリーなどに幾らでも転がっているので、そういうものを書いているライターの人達などは、ニッチをかなり食われているんじゃないかと思う。どちらの場合も、簡便なツールを与えられた大量の素人が経済学的報酬のためではなく心理学的報酬*2のためにせっせとプロダクツをこしらえていて、読み手としては案外それで満足できてしまうので、よほどきっちり差別化できていない限り「さすがプロの仕事」と認められるのは難しい。

*2:承認欲求であったり、自己愛充当であったり、葛藤や緊張の解消であったり
 
だから、そういったジャンルの中途半端なプロの書き手が仕事を貰えなくなっていくという未来予想図はいかにも想像しやすい。自動車が普及し、洗濯機が普及し、pixivやニコニコ動画が栄えていった歴史が示すように、必要なニーズを満たすための敷居というやつはテクノロジーによってどんどん下がっていくし、それは「モノを書く(描く)」という領域でも例外ではなかった、ということだろう。

でも、差別化をしっかりやっているプロには素人はかなわない

 

しかし実際には、プロのモノ書きが滅びに身を任せるほど脆弱だとは思えない。なにせ、プロは心理学的報酬のためにではなく、経済学的報酬のために働いているのだ。当然、素人向けのツール普及の動向にも敏感だろうし、自分の仕事のニッチがどのようなもので将来性がどうなのか、常にアンテナを張り巡らせているだろう。少なくとも、素人がブログを書いているのに比べれば、そうした風向きには敏感な筈である。

しかも、プロが素人と決定的に違っているのは、いかなる時も一定以上のクオリティでプロダクツを提供できることだ。

素人も、ときには素晴らしいプロダクツをつくりあげることはある。けれどもそれは「たまたま素晴らしいクオリティに仕上がった家庭料理」のようなものであって、プロのシェフがつくるオムライスのような、どんな時も変わらないクオリティを提供する能力は持っていない。もちろん、プロのなかでも最高級の仕事を期待されるポジションにいる人のなかには、気分が高揚しているうちにプロダクツを一気呵成に仕上げる(しかない)人もいるだろうが、そういった最高級の例外はともかく、一般的には、専業プロの執筆者に出来て素人に出来ないことというと、「安定したクオリティの提供」だろう。

また、心理学的報酬のためでなく経済学的報酬のためにモノを書く彼らは、依頼者の注文に沿った文章なり絵なりを提供できる点でも、素人に対してアドバンテージを持っている。私自身が素人だから感じることかもしれないが、「依頼者の注文通りにつくれる」のは凄いことだと思うし、真似しようと思っても出来ないだろうな、とも思う。少なくとも「作りたいものを作りたいようにつくる」とはわけが違う。

こうしたアドバンテージを保持し、なおかつ毎日のように爪を磨き続けているプロの人々に、いったいどうして素人が対抗できるというのか?

仮に、そうしたプロの人々を凌駕する素人が出てくるとしたら、それはよほどの素人に違いないし、なるべくしてプロになっていくのだろう。一方で、そういった素人の台頭を前にして、自らのアドバンテージを維持できないプロなんてものは、プロのなかでもよほど質の悪いプロというか、素人との差別化もできず、自分の仕事の立ち位置や風向きにも鈍感なプロだろうから、淘汰されるべくして淘汰されていくのだろう、と思う。少なくとも、そういう素人ともプロともつかない水準の人が、プロからアマチュアになっていったところで、困る人は誰もいない。

執筆: この記事はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠』からご寄稿いただきました。

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