夢に向かって進む女子の物語〜柴田よしき『お勝手のあん』
ところは日本、ときは安政の世。だけど『お勝手のあん』は、まぎれもなく『赤毛のアン』の系譜につながる少女小説だった。時代の波に流されずに男女の別や身分の違いに抗って生きることに少しずつ目覚めていく主人公・やすの姿には、現代を生きる我々も勇気づけられる。
物語の冒頭は、品川宿の宿屋・紅屋の大旦那である吉次郎が得意先の葬儀に出かけた帰りに、やはりいとこの平次が神奈川宿で営む宿屋に泊まっていこうという場面。その宿屋・すずめ屋の台所をのぞいた吉次郎は、ぼろ布の塊が動くのを見て、腰を抜かしそうになる。ぼろ布と思われたものの正体は、女童だった。吉次郎はやすというその女の子にふたつの栗を見せて、どちらでもおいしいと思う方を選ぶように言う。子どもであれば大きい方を選ぶと思いきや、やすは匂いで小さい方の栗がおいしいことを見抜く。その後、吉次郎が平次に事情を尋ねてみると、すずめ屋ではほんとうは力仕事のできる男の子を探していたのに、手違いで女の子がやって来たのだという(『赤毛のアン』のファンなら「ふふっ」とうれしくなるところ)。口入れ屋に返さなければならないと語る平次に対し、やすに可能性を感じた吉次郎は自分の店で引き取ると申し出た…。
次の章からは、紅屋で下働きの女中見習いとなったやすの姿が描かれる。先輩の台所女中たちや自分より年下の小僧・勘平とともに、忙しいながらもいきいきと働いている。鋭い味覚を持っているうえ料理に関してさまざまな工夫を提案できるやすに、料理人の政一は特別目をかけているが、この時代女性の料理人というものはまず存在し得なかった。やすはそれでもかまわないと気にしてはいなかったけれど、ある人との出会いによって新たなものの考え方に触れることになる。
その人は絵師だった。ある春の日、紅屋名物よもぎ餅を作るためのよもぎを摘みに行った山で、やすは品川の海を写生する男性と出会う。墨だけで描かれているのに青く見える海の絵に、心を奪われるやす。紅屋と仲のよい百足屋に長逗留しているとのことで、それからもしばしばやすは絵師と顔を合わせる。彼はやすに、この世の矛盾と新しい時代の予見と夢を持って生きてもいいのだという希望を示してみせた。作中で「なべ先生」と呼ばれるのは、河鍋暁斎という実在の絵師だそう。
自分の力で未来を変えていこうという志をやすに語ったのは、百足屋の娘・小夜も。おてんばでわがままなところのあるお嬢様だが実は、この時代の女性にとってはやはり叶えるのが難しい夢を持っている。だからといってあきらめきれているわけではなく、完全な形では難しいのであれば実現可能なところから目標に近づこうと考える聡明さが頼もしい。やすも小夜も、アンや『若草物語』のジョーや『あしながおじさん』のジュディと同じ、困難を乗り越えて夢に向かって進む女子たちなのだ。いつの世にも人の行く手を阻む壁は存在する。しかし、それでもあきらめずに希望を胸に生きることの尊さを、改めて教えられた一冊だった。
柴田よしきさんといえば、ハードボイルド系からハートウォーミングなものまで幅広い作風の作家というイメージ。個人的には『高原カフェ』シリーズなどの食べ物がおいしそうな作品が好きなので、本書も大満足であった。続編にあたる『あんの青春』(またもや「ふふっ」)も、角川春樹事務所のPR誌「ランティエ」での連載がすでに終了したとのことで、まだまだおやすちゃんの活躍が読めそう!
(松井ゆかり)
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