「世の中が変わる瞬間を見てみたい」 ロフト代表・平野悠<「どうする?原発」インタビュー第1回>

国会前の道路を見つめる平野悠さん

 「こんな光景、見たことある?ある意味で歴史的瞬間かもしれないよ」。2012年7月29日夜、国会前の道路に群衆が流れ込み、埋め尽くす様子を眺めながら、目を輝かせている人物がいた。都内の老舗ライブハウス「ロフト」の創業者で、「ロフトプラスワン」などを運営する平野悠さんだ。

 毎週金曜日に、東京・永田町にある首相官邸前で行われている「脱原発デモ」が、大きなうねりとなりつつある。夕方から始まるため、スーツを着た会社帰りの人の参加者も増えている。さらに、7月29日の日曜日には「国会大包囲」と銘打たれた特別のアクションが企画された。午後3時半から、東京電力本店や経済産業省の周辺をデモ行進。午後7時ごろからは、官邸前や国会の周りに押し寄せ、キャンドルを手に国会を取り囲んだ。

 この日、インターネットのライブ動画配信サービスを使って、デモの様子をリポートしていた平野さん。顔見知りの参加者には「ガハハ」と笑いながら話しかける。一方で、「福島県双葉町から着の身着のままで逃げて来ました。もうこんなことは起きてほしくない」と涙ながらに話す女性には黙ってマイクを向ける。その平野さんのリポートに同行し、話を聞いた。

・特集「どうする?原発」
http://ch.nicovideo.jp/channel/genpatsu
・「7.29​脱原発国会大包囲」の様子を写真で見る
http://news.nicovideo.jp/watch/np243604

■「原発は開けてはならない”パンドラの箱”」

 焼け付くような暑さの中で行われたデモ行進。スタート地点の日比谷公園には、高齢の人のほかにも、親子連れや若いカップルなどが見受けられた。東京電力本店前、経済産業省前を通るルートを、「原発やめろ」「再稼働反対」といった掛け声を上げながら、歌い、踊り、あるいはサウンドカーを出してライブしながら練り歩いた。

「脱原発のデモは、地球の裏側のベネズエラでさえ報道されるくらい、全世界が注目しているものです。いわば、歴史的な瞬間と言える。それを自分の目で見てみたいというのがある。世の中が変わる瞬間を味わいつつ、誰かに伝えたいのです」

 デモをネット中継でリポートする理由について、このように興奮気味に話す平野さんは、1944年生まれの67歳。いわゆる全共闘世代で「学生の頃から左翼的だった」という。そのためもあってか、福島第1原発の事故が起きる以前から、ロフトでは、原発を否定する論者を呼んだトークイベントを開いてきた。「当時は客が入らなかったけどね」と笑いながら話す。

 事故後は、脱原発への思いが強くなった。「原発は開けてはならない”パンドラの箱”のようなものだ。人類・生物の敵だと思う。それを、政府はエネルギー問題にすり変えている。『電力が足りない』という話にするのがおかしい」。昨年4月、それまでで最大規模の脱原発デモが東京・高円寺で行われ、平野さんが率いるロフトも参加した。「ここまで酷いことをされて、世の中何も起こらず、何も変わっていないのは面白くないと思った」

 ツイッターやフェイスブックなどを通じた呼び掛けによって、「動員されずに」人が集まるデモでは、その後、マイク、アンプなど放送設備の準備やミュージシャンのブッキングの関係で、ロフトの役割が大きくなっていった。今では、官邸前デモを主催する「首都圏反原発連合」の中心となっているという。「新しく機材も買ったしね。乗りかかった船なので、やり切るしかないと思っている」

■「画期的な変化が生まれてきている」

 大飯原発(福井県おおい町)の再稼働問題をきっかけとして始まった官邸前デモのことを、チュニジアのジャスミン革命にちなんで、「紫陽花(あじさい)革命」と呼ぶ人々がいる。紫陽花の美しい6月にデモが盛り上がったためだ。平野さんも「紫陽花革命」という言葉で表現する。これまでのデモと、”革命”という強い言葉が使われるデモとの違いについて、平野さんはどのように見ているのだろうか。

「紫陽花革命は、党派を超えて広がっている。これまでのデモは、労働組合などの看板が前面に出ていたが、このデモの参加者は、基本的に”脱原発”という自分の意志で集まっている。そのため、いわゆる左翼だけではなく、右翼の団体も参加している。そういう画期的な変化が生まれてきていると言えますね」

 デモ行進の先頭近くを歩いていた私たちは、予定のルートを一周して日比谷公園に戻ってきた。17時ごろだった。汗が滝のように流れる。スタート地点に目をやると、まだ多くのデモ行列が出発したばかりという状況だ。平野さんによると、今回、官邸前デモが”国会大包囲”になった理由は、デモに参加する人が増えて官邸前の道路に入り切らなくなったことがあるという。私たちは混雑がひどくなる前に、移動することにした。

■「ある意味で、歴史的瞬間かもしれない」

 国会へと歩く平野さんは「今日は警察の数が少ない」と指摘した。たしかに、このデモの規模の割には、少ない気がすると思った。国会前に集まった人々はどんどん分厚い層になっていく。そこに、新右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男さんが通りかかった。ロフトプラスワンのトークイベントに頻繁に出演しており、平野さんとは旧知の仲だ。国会包囲と原発についてコメントを求めると、鈴木さんはこう話した。「本当だったらできないデモだ。原発は、国民投票で決めればいいと思う。ネットの声もアンケートなどで拾えば、政府も無視できないはずだ」

 「国会包囲」の時間とされた午後7時に近づくにつれて、正門前の歩道をスムーズに行き来できないようになり、人々の間でイライラがつのり始めた。やがて規制された道路に人が溢れ始めると、警察が「道路に出ないで」と注意。「誰が道路に出てはいけないと決めたんだ。責任者を出せ。総理を出せ」と群衆は叫び声を挙げる。そうこうしているうちに、次々と道路と歩道を分ける鉄柵を乗り越える人が現れ、どこが規制ラインなのか分からなくなった。

 「これ以上やっちゃダメだ。これ以上はやる必要がない」。車道に人が出ないように警備する警察との間で自然と発生した小競合いの様子を眺めながら、平野さんは厳しい表情で話した。「(全共闘では)警察を敵にして失敗したんだから」。しかし、群衆は止まらない。規制ラインがとうとう”決壊”した。人が道路に流れ込み、埋め尽くす。「こんな光景、見たことある?ある意味で歴史的瞬間かもしれないよ」。平野さんは先ほどと打って変わって、目を輝かせながら、国会前の道路に駆け出し、人混みに消えていった。

■平野悠(ひらの・ゆう)

 1944年東京生まれ。1971年、若き日の坂本龍一が毎日のように通ったことでも知られるジャズ喫茶「烏山ロフト」をオープン。その後、ロック・フォーク系のライブハウスを次々と展開。近年は、席亭として「ロフトプラスワン」「ネイキッドロフト」などトークライブハウスを手がけている。

◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]7.29​脱原発国会大包囲 主催:首都圏反原発連合 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv101516452?po=newsgetnews&ref=news
・[ニコニコ生放送]【国会をキャンドルで包囲】7.29脱原発国会大包囲 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv101394277?po=newsgetnews&ref=news
・特集「どうする?原発」
http://ch.nicovideo.jp/channel/genpatsu

(山下真史)

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